映画『アイアムアヒーロー』の感想を躁鬱の両極端に振れつつ書く(途中からネタバレ含む)

《推定睡眠時間:0分》

ゾンビが200人くらい出てくる…ゾンビが200人くらい出てくる! 100点満点お腹いっぱい!
お金がなさすぎて人におごってもらったサイゼリアのハンバーグの美味さに涙したことがあるが、ゾンビ映画感覚も同様にして貧しいのでとりあえずゾンビがいっぱい出てくるだけでありがとうと言いたくなる。
『ウォーキング・デッド』(2010~)とか『ワールドウォーZ』(2013)みたいのを持ち出してはいけない。ありゃ高級店だ、ロイヤルホストかジョナサンだ。『アイアムアヒーロー』はサイゼリアもしくはすき家です。
ゾンビが3人くらいしか出てこないでランタイムの半分以上は登場人物(監督の友人たち)がグダグダ喋ってるだけの腐ったコンビニ廃棄おにぎりの如しインディーゾンビ映画があまた世に存在することを考えれば、すき家クラスのゾンビ映画がいかにありがたいか分かるだろう…しかも血糊のつゆだくは無料でゴア描写の紅しょうがは食べ放題なんだからな! 他になにを求めんだよすき家に!

『アイアムアヒーロー』、そんな素晴しきファストフード映画であった…!

躁な感想(観てない人向け)

これ原作は一巻だけ読んだことがあった。なんだまた花沢健吾のこじらせものかと思ったら一巻の最後で突如としてゾンビ漫画になる。ビックリ。エレキコミックとラーメンズ片桐のラジオで「漫画一巻グランプリがあったら優勝ですよ!」なんて言ってたが、確かにあの引きは強ぇ…。
そういえばラーメンズ片桐は漫画家役で映画にもちょっと出てくる。その背後に「花沢健吾『ルサンチマン』映画化!」のポスターが。「テレ東がまだアニメやってるから大丈夫!」なんて311なセリフもあり、ちょっとした遊び心多し。楽しい。

ほんで原作の方はそっから先読んでないからどうなってんのか知らんが、映画はオーソドックスなロメロ的ゾンビ黙示録ものになっていた。
逃げ惑う群集、交通麻痺、空を覆う輸送機、都市に溢れるゾンビの群れ、テレビの臨時ニュースが刻々と悪化してく状況を伝える…そうか日本でもビッグバジェットでこんなゾンビ映画ができるよーになったんだねぇ、との感想チラホラ。
だよな、感慨深いもんあるぜ…上映前の予告で流れたのが『シン・ゴジラ』とゆーのもまた感慨深い。311も考慮すれば更に風味倍増。

これだけでも既にグっときてるが嫌な漫画家のマキタスポーツ(これは原作のイメージにピッタリ!)、そのアシスタントのドランクドラゴン塚地と脂ぎった面構えが並んでんのも素晴しい。すげー恐いよ塚地なんて、あの滑稽な狂気! ドランクドラゴンのコントで息子の鈴木に漫才を強要するお笑いマニアの塚地パパってのがあったが、この人はそーゆーちょっとズレてるけど本人は自覚がない人物造形が上手いっすよやっぱ。
恐いといえば片瀬那奈も恐い…が、これは口外禁止。主人公が大泉洋か。これも原作読んだ人なら納得感あるんじゃないか。終末になってもなんもできないヘタレのダメ男、ええねええねハマってるじゃん! 大泉洋が最後の最後にヒーローと化す瞬間、ちょっと震えたよ!

そういえばマキタスポーツに塚地にラーメンズ片桐にと何故かお笑い色の強いキャスティングで、このあたり爆笑オンエアバトルずっと見てた俺にはドンピシャ感あったな。スタッフロールにオンバトによく出てた元さくらんぼブービーのカジの名が。本編じゃ分からんかったがゾンビ役だったんかな。さくらんぼブービーにはゾンビがうーあーと意味不明な会話をするだけのコントもあった。こいつらのコント、パンクシュールとでも形容できそうなキレた内容で大好きだったなぁ。
メイプル超合金の安藤なつの名もあった。これもゾンビ役だろか。お笑い好きな人は色々と探してみると面白いかもしんないが、しかしコミカルな予告編とお笑い芸人大量起用に反してドシリアス直球のゾンビ黙示録もの、笑えるとこといえば大泉洋のヘタレっぷりぐらいなんで映画にお笑い芸人を噛ませんなよ的な硬派なゾンビマニアも安心なのだった。

この映画、マキタスポーツとか塚地みたいな汚い顔ばっか画面に出てくるうらぶれた日常が突如としてゾンビの跋扈する終末世界に変貌する怒涛の前半30分にとても胸躍ったが、キモ度の高い本気なゾンビ造形・ゴア描写、それになによりラスト15分くらいの『バイオハザード』でゆーところのタイラントとの大バトル&ゾンビ大虐殺で完全にハートがヤラれた。
これはもう『ゾンビ』(1978)じゃない…これは…もはや『新ゾンビ』(1998)だ…『シン・ゴジラ』でもない『新ゾンビ』だ…ラスト30分くらい延々ゾンビを殺すだけの、エンドロールに表示されるゾンビ虐殺カウンターが100人を超えた(ホントかどうかは数えてないから知らない)アレだ…。

果たして「邦画界の『新ゾンビ』です!」なんてのが褒め言葉になってるかどーかは分からんが、ともあれ血糊と内蔵を撒き散らすだけで内容とか少しもない(※褒めてます)インディーズのジャーマン・スプラッター怪作の精神が現代日本の一般映画でゾンビの如く蘇った、とゆー事実には素直に感動するしかない。
その昔、まだ映画が立派なものだと純粋に信じていた頃に観た『新ゾンビ』のオラフ・イッテンバッハと並ぶジャーマン・スプラッターもう一人の雄アンドレアス・シュナースの『ゾンビ2001 ザ・バトルロワイヤル』(1990)の衝撃も鮮やかに蘇る。
ヒドイ映画だった…クソみたいにヒドイ映画だった…予算が無さ過ぎてマネキンをゾンビに見立ててチェーンソーで切ってる…その切り口からプラスチックの白い粉が舞いあがってる!
だが、そんな産業廃棄物としか思えないシロモノを映画と言い張り映画監督を自称する人間がいて、そしてそのゴミ映画が海を越え国境を越えなんも知らん極東の少年に届いたのだ…これは奇跡じゃないか? 奇跡だろう、これ奇跡だろう! 映画すげー!

…なにか、両親のセックスを目撃した少年が嫌悪感と同時に股間の膨らみも意識してしまったような倒錯的映画体験だが、とにかくシュナースとジャーマン・スプラッターは俺に映画の深さ(闇とも言う)と可能性を教えてくれたんであった。
で、俺にとっての『アイアムアヒーロー』はそんな美しい記憶も呼び覚ましてくれる素敵なゾンビ映画だったのだ…なんかディスってるように聞こえるが!

鬱な感想(観た人向け、ネタバレ含む)

…と書けばなにそれそんなすげー映画かよと思うが、冷静に見てみると結構普通のゾンビ映画なのだった。衝撃! 『アイアムアヒーロー』、普通!
いや、だってこれはさ、もうゾンビ映画の歴史がとっくに通り過ぎた道じゃないすか。『ゾンビ』みたいな本格的ゾンビ黙示録が日本でもついに! …とは確かに思ったりするが逆に言えば今更なんであって、それ以外の新味ってのは全然ないよなこれ。

基本的な展開はもちろん『ゾンビ』。『死霊のえじき』(1985)オマージュと思しきアゴなしゾンビが出てくる、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)っぽい外に出たら街中パニック! なシーンあり、『サンゲリア』(1979)か? な目潰しとゾンビ化した妻との再会ありで、森林伐採作業員ゾンビは『フォレスト・オブ・ザ・デッド』(2005)の可能性もゼロではない。
ゾンビの動きは意外と定まらず走ったり歩いたりカクついたりする。場面場面でフルチゾンビっぽくもロメロゾンビっぽくもあり、混濁した目はたぶん『28日後…』(2002)、それに加えて精神錯乱を起してうわ言を言いながら襲ってくるのは今度映画化されるらしいスティーヴン・キングのゾンビ小説『セル』とか『バイオ・インフェルノ』(1985)とか(ゲームの方の!)『サイレン』なんかも彷彿とさせんので、色んなゾンビの合いの子って感じ。
ゾンビ病に感染すると血管が浮き出るのは『遺体安置室』(2005)かもしんないしそうでないかもしんない。迫りくる力士ゾンビを大泉洋が猟銃で狙うあたり、微かにゾンビゲー『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』感。ゾンビがカクついたり蜘蛛みたいに這ったりすんのはゾンビ映画から離れるがJホラーのオバケとか『サイレントヒル』(2006)の看護婦クリーチャーとか『エクソシスト3』(1990)で散々やってんので、そーゆー前衛舞踏っぽい恐怖表現はむしろ古いんじゃなかろか。

一度既視感を覚えると急に萎えてくるから困る。脚色難しかったんだろなぁとは思いつつこのシナリオこの演出だめだろうとかも思えてしまう。
だってショックシーンのほとんどが「さっきまで普通の人だったのに振り向いたらゾンビになってた!」式ってのはさぁ…それにマキタスポーツとか塚地みたいな味のあるキャラクターを序盤でさっさと殺しちゃうから展開が持たないんじゃないかこれは。前半の躁的ゾンビパニックが終わると一気につまんなくなる。
後半のアウトレットモールでの『死霊のえじき』的『28日後…』的諍いってのもそこでの人間関係がほとんど描かれないんでものすごく緊迫感なかったりしたなぁ。ロクにキャラクターを描写しないで新キャラ出た→ゾンビになった→大泉洋逃げる→新キャラ出た…の繰り返しでしかないって、やっぱ飽きてくるよこれは。
それにほら、有村架純が…この人がハーフゾンビになったことの表面的な説明すらないし(赤ちゃんゾンビに噛まれたから?)、だいたいハーフゾンビの存在も含めてほとんど本筋に絡まないんでいっそのこと有村架純絡みのとこは全部切っちゃうべきだったんじゃないかとすら思うぞ。いや大人の事情も分かりますが…。

なんだろな、これは、たぶん作り手はゾンビ映画にとても思い入れがあるか相当研究してんだろな。展開に無理があろうがなかろがとにかくショックシーンとゾンビ映画っぽいシーンの数珠繋ぎにするぞみたいな、そーゆーつもりでシナリオ書いたり演出してんじゃないの。いや原作がそうなのかもしんないけど。
さっきまで平和だった街が大泉洋が恋人のアパートから出てくるや急にゾンビパニックになってる。あぁ『ドーン・オブ・ザ・デッド』そんな導入だったよな。でもあれは主人公が朝目覚めたら世界は一変してたってワケで少なくとも表面上は不自然なとこないんだよ。『アイアムアヒーロー』は違和感バリバリなんだよ。
アウトレットモールで食料略奪隊の先頭に立ってたハズの岡田義徳はいつの間にか隊を離脱してモールの管理室にいる。そこでモールの明かりを点けて店内BGMを流すのは『ゾンビ』がやりたかったワケでしょ。でもなんで文明崩壊してんのに電気が通ってんのってのは『ゾンビ』だったらちゃんと説明するんだよ。『アイアムアヒーロー』はしない。そんな簡単に行けるんなら最初から管理室押さえとけばよかったじゃんって疑問も出る。『ゾンビ』はそんな疑問が出ないように作られてたじゃんさ。

だからこれは、ゾンビ映画のクリシェとオマージュいっぱい。それ楽しいけどさぁ…みんながゾンビ映画で見たいもの全部入れたよ! ってことなのかもしんないけどさぁ…ぶっちゃけ、そーゆーの観たい人はもっと豪華な映像とスターいっぱいで同じことを大規模に流暢にやってる『ウォーキング・デッド』とか『ドーン・オブ・ザ・デッド』観るだろうと。
ほんでそーゆーのと比べちゃうと邦画でよくやった的な都市部のゾンビパニックもやたらショボく見えちゃうんだよ…コントみたいに見えちゃうんだよ…展開の強引さとか無意味さばっか目立っちゃうんだよ…それを今更やったから何? ってのはやっぱあるんだよ!

邦画ゾンビなんて別にいっぱいあるワケで、そりゃまぁ大体どれも安いし変化球だったりするが、ストレートなロメロ流ゾンビ黙示録とか古くねっつってゾンビ視点の映画とかゾンビをペットにする映画とかゾンビが恋する映画とかが乱発される世にあっては逆にこーゆー安い変化球邦画ゾンビの方法論を取り入れた方が良かったんじゃなかろかと思う。
日本映画は内向きだからダメだなんて言う人いるが、内向きだからダメかどうかはともかくそのスケールに反して『アイアムアヒーロー』とゆー映画はとてもドメスティックな映画なんじゃないか。
アレだ、ファッション誌のフランス人モデルに憧れて自分も同じ服を買ってみたが体型が違うのでわりとダサいことになってしまった人のよーな感じがある…。

などと思うところ多々ありつつ…でも結局はゾンビいっぱい出てきていっぱい死ぬから『アイアムアヒーロー』やっぱサイコーだったんだよ!
血ぃブーブー! 頭がドーン! ラスボスとの死闘までちゃんとある! 他に何がいるんだよ! お前らすき家に何を求めるんだよ! すき家で普通に牛丼が食えることの喜びを知れ飽食日本人!
とにかくそんな映画だった!(躁に戻った)

【ママー!これ買ってー!】


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別に関係はないが好きな邦画ゾンビなので。

↓その他のヤツ
アイアムアヒーロー(1) (ビッグコミックス)

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