フジロックも行けなかったしサマソニも行けない。しょうがないからクーラー効いた部屋でフェス映画を観る。
なにをフェス映画とするかの基準は俺もわからないのでよくわからない並びになってますが、わかってしまったらフェスじゃない気がするのでよくわからない並びがつまりフェス。そういう感じでひとつ。
『ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間』(1970)
かの有名な1969年のウッドストックに密着したかの有名なドキュメンタリー映画。ジャニス・ジョプリンとかザ・フーとかスライ&ザ・ファミリーストーンとかこれが初お披露目のサンタナとかいっぱい。あとジミヘン。
あのあれです俺はアウトオブ世代ですからへぇこんなことになってたのかと面白かったです。会場ヤスガー農場の様子にステージの様子に近隣住民の様子にとこう全部ひっくるめて撮れる限り撮ってくれてんのであぁヒッピームーブメントこんな感じか69年のアメリカこんな感じか、みたいな。
すごいっすねヒッピー。全裸で走り回ってるし勝手に瞑想教室開いたり楽器持ち込んで演奏したりしてるしLSDキメてサイケしてるし、あと場内アナウンスで妊婦が産気づいたので先生は今すぐ医務ブースに来て下さいとか言ってるし。フェス来てる場合じゃないだろ。
ジャニス・ジョプリンがピンとこないぐらいなので出てくる人だいたい知らないんですけどカッコ良かったですよリッチー・ヘブンズとか。あとほらジョー・コッカー、「With A Little Help From My Friends」。あのエクソシスト的ソウルフル最高。
サンタナも凄かったんですけどこれ初披露っていうんで驚く。無名の人がのそのそとステージ上がってこんなん始めたんだから感じやすいヒッピーの何人かショックで死んだんじゃないか。
映画のラスト、ジミヘンによる「星条旗よ永遠なれ」。ウッドストックは当初週末三日間の予定だったが運営大混乱の末に月曜まで伸びてしまったとのこと。自由が平和がとか言ってますがみんな日常生活のが大事に決まってるので、40万人だか50万人だか動員ってアホみたいな数字ですが月曜になってようやくジミヘンがステージに上がった頃には仕事やらなんやらで客が帰ってしまい残ったのはたった3万人程度とウィキとかに書いてある。
ステージから見えた光景はさぞ侘しいもんだったと思いますが別に気にせずプレイに没入のジミヘン。そこにさながら爆心地なフェス終了後の大荒廃ヤスガー農場の映像が被さるというわけで、なにか色々と終わったんだなと思わせる圧巻の幕切れなのでした。
『グラストンベリー』(2006)
グラストンベリーはイギリスのみならず世界最大級のロックフェスとのこと。初回は1970年、前年のウッドストックに感銘を受けてしまった地元農場主のマイケル・イービスが即座に企画。今では20万30万くらい集客あるらしいんで意外と本家に迫ってます。
成り立ちからしてそうなのでグラストンベリー2006に大密着のこのドキュメンタリー映画の方も『ウッドストック』への目配せをハンパなく感じるわけですが、しかしここはイングランド、監督はロック映画ばかり撮ってる『ビギナーズ』(1986)のジュリアン・テンプル。『ウッドストック』には仮設トイレの清掃人にインタビューする場面がありこちらも同様なのですが、本家の方では決して見せようとしなかった汚物まみれの便器にわざわざカメラが突っ込みあまつさえ排水路に排出された汚物の滝を嬉しそうに撮りやがるので屈折。さすがパンクの国。
ザ・ブレイブリー、プライマル・スクリーム、ブラー、パルプ、ケミカル・ブラザーズ、プロディジー、マッシヴ・アタック、ビョーク、コールド・プレイ、レディオヘッド、ジョー・ストラマー、モリッシー…とこう錚々たる面子が並んでトリがデヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」、そっからフェス後の寂寥とやはり『ウッドストック』をなぞる。
見せなくてもいいウンコ見せたりチケット買う金はあるのにスリルを楽しみたいからと不法侵入する輩の肩を持ったりとなにが平和だうるせぇ死ねバカ的なアンチ・ウッドストック映画かと思ったら最後でそれか。おい泣かせるな。
…などと、そんな結局は優等生な映画じゃないので感動のラストと思わせてフェンス越えぐらい楽勝なんだよバーカとのたまうクソ若造をスタッフロールに投入しええ感じの雰囲気を実にブチ壊しにするのでした。
チケットぐらい買えクズどもがと毒を吐きつつマイケル・イービスが一言。「ああいうバカがいるから面白いんだよ」。さすがEU離脱を選んだ国。
『ナッシュビル』(1975)
ウィキペディアを見ると主要登場人物が24人と書いてあるロバート・アルトマンの代表的群像劇。アメリカ南部の街ナッシュビルのカントリーフェスに集まった雑多アメリカ人がむやみやたらと入り乱れるようで別に入り乱れず、主人公不在中核エピソード不在のままダラダラとカメラを回し続け撮影中に遊びに来たエリオット・グールドにそのまま出演してもらい即興でなんかどうでもいいこと喋らせてやはりダラダラ撮ったりするスーパーゆるフェス映画です。
あれですよね収束とドラマを拒絶してふわふわ放散していくばかりの展開にもはやもはや「カントリーフェスに集った24人の運命が交錯し…」程度の雑あらすじすら通用しなくて困りますよね。
フェスといいつつ半分くらいは地元に住んでる人の物凄く他愛のない生活ドキュメントの三時間なのでびっくりするぐらいなにもない。こんなにおもしろくないアメリカ映画がいやアメリカ生活があっていいのか!
しかしながらその超絶おもしろくないところが超絶おもしろいと言うと嫌味ったらしくすごく嫌ではあるがでもおもしろいんだからしょうがなく、てんでばらばらに凡庸倦怠生活を送っていた離散アメリカ人24人が微混乱微不安微悲哀などなど微々と重ね重ねた末に音楽と分かち難く結びついた政治の魔力に吸い寄せられ変革の幻覚の中で収束爆発そして大正義『It Don’t Worry Me』を気怠く合唱しながらアメリカ次世代へというラストの流れはあれ完璧なんじゃないですかこれ完璧なんじゃないですかクソつまんねぇ三時間は一秒たりとも無駄ではなかったんじゃないですかいやむしろ何度も観てたらおもしろくないところを探すのが難しくなってきたよ『ナッシュビル』!
で、法律家に乗っ取られた議会を民衆の手に取り戻せのポピュリーなメッセージをカントリーフェス中のナッシュビルに振りまき凡庸アメリカ人たちの秘めたる不満と衝動を微妙に刺激していく怪しい謎大統領候補がネタ泡沫から一転メインストリームへ、という2016年現在どこかで現在進行形で聞いたような無気味な背景エピソードが『ナッシュビル』の脱力的凡庸こそ最も正確にアメリカ南部のリアルを捕捉し、そしてそのフェス的現実突破力が今もって健在であることを示すのでした。
『爆裂都市 BURST CITY』(1982)
幻の街サンダーロードで右翼の抗議デモを受けながら山田辰夫ソロライブが行われていた頃、おとなりのバーストシティでは労働争議が勃発し原発誘致に伴うヤクザな地上げとか格差社会にプロテストすべくフェスが開かれていたのでした的なキュレーター石井聰亙の80’sパンク/ハードコア労働者フェス映画。ロッカーズとかルースターズとか町田町蔵とか遠藤ミチロウとか出ます。あと泉谷しげるとコント赤信号。裏方にはあんなひとこんなひと色々。
なんか言うと野暮になりそうなので感想一言。なめんなよぉぉぉ!
ロックです。
『2000人の狂人』(1964)
うそつけ2000人も狂人いないだろっていうか200人もいねぇよ60人くらいだよ! でも間違いなくフェス!
浅薄若者集団がアメリカ南部を旅行しておりましたら変な町に辿り着きました。お祭りやる、あなたたち主賓、おれたち超もてなす。なんかそんなこと言われたので若者たち素直に従う。おまえ樽の中入る、おれたち転がす、それ町の伝統行事。ふーん奇祭というやつかなぁ、と思ったかどうかは知らないがそう言われた若者がとりあえず中に入ってみたらなんとアイアンメイデン的な殺人スパイク樽。おれたち実は南北戦争の亡霊…おれたち殺した北部人ども許さない…おまえたち殺して祝う! ひょえー! お祭りかと思ったら血祭りだったのかー!
アメリカン・スプラッターの父ハーシェル・ゴードン・ルイスの映画はクソ陰惨ゴア描写が売りのくせに他の部分はあらゆる意味で救い難いバカなのでその落差にゲロ酔い。
とりわけこの映画の南部熱を帯びた陽性不快は凄まじい気がし(『悪魔のいけにえ』(1974)と通ずる)、最初に観たときはあまりにあっけらかんとした不快の面白さに感動したがしばらくしてからもう一度観てみたらもう死ぬほどつまらなくて吐く。
代表作と目されたり目されなかったりするが別にどっちでもいい『血の魔術師』(1972)ではゴアゴアマジシャンの幻術が全編に渡ってのミスなのか狙いなのか判別不能の超チープ撮影と共に大いに現実を揺さぶっておりましたが、こちらも冒頭からしてルイス作曲のスーパーな能天気カントリー主題歌が正常人の判断を完全に狂わせてしまうのでなんかもう面白いのか面白くないのかわかりませんけどなんでもよくなりますフェスだしねフェス。
こんなのでも最後はほのぼのとノスタルジックに泣けてしまったりもするので侮れない。
『ウィッカーマン』((1973)
映画評論家の町山智浩さんがこのスコットランドの小さな島にある文明から取り残されたかのよな村を評して「素朴で良い村だと思いますけどねー」などとしれっと語っており、そうですね良い村ですね良い村ですよねみんな優しいし素直だし楽しい村祭りはあるし女の人みんなエロいしでもこの村はこの村の正体はぁぁぁ!
っていう感じの奇祭系フェス映画。カルトホラーとして名高いそうなので一体どんな恐ろしい…と思って観たらホラーどころかバカンス感に腰が横に抜けたのは『2000人の狂人』と共通体験。伝統音楽が理性を狂わせるというのもまた同じ。
あれですよね本土より到来の厳格クリスチャンな利口ポリ公主人公の目には村の奇妙な風習の数々が退廃ここに極まれりと映るんですが、退廃といったところでロクに勉強しないで歌って遊んでばかりいるとか貞操観念が皆ゆるくて夜這い横行とかそんなことなのでむしろ雑に生きたい人のパラダイスですよね。
南米ジャングルの奥地ならいざ知らずスコットランドにこんな理性と神さまの支配の及ばない未開地残ってたんかよ! ということで真面目な主人公は大いにショックを受けワイセツだ邪教だ罪深いと大騒ぎするのですが、丁寧なおもてなしを受けといてそんな風に村人を全否定したうえ国家と神の権力を振りかざして村の秩序を乱すような部外者は別に死んでもいいかという気分に段々なってくるのでパラダイスは残酷。
なにはともあれラスト、ラストがすごくとんでもなくフェスで超ハッピーに絶対ホラー。ネタバレにならないように音声オンリーで再現するとメェメェメェ! キーキーキー! ラーラーラー! ゴォォォォ! ジーザァァァス! みたいなそんな感じでわけわからんですがつまりフェスは再現不能なので文字起こしも無用というわけです。
『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969)
江戸川乱歩全集の看板は偽りではないので『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『孤島の鬼』『パノラマ島奇譚』、あとほかにも色々入ってるのかなみたいな感じなんですがこの妙にリズミカルな軽いノリは全集っていうかリミックスじゃね的な気がしてきますし新宿あたりでナンパしてきた人たちと土方巽のダンス(暗黒舞踏)が最大の見せ場なのでクラブ系カルトフェスです。DJ石井輝男。
村祭りとカルトホラーはキッチュで結びつくの法則があるらしいので孤島にフリークパラダイスを作り上げた土方巽が毎日人知れずお祭りに興じているというこちらも安さ全開、破綻展開で笑えますがむしろ長編になると途中から筆が荒れてやたら安く支離滅裂にご都合主義化する乱歩の作品世界に忠実になっているのでリミックスといいつつやはり全集。
変態路線かと思ったら急に由利徹の生臭坊主コントになったりするなどとにかくオーディエンスを飽きさせない緩急自在なプレイスタイルなので泥くさいタイトルに反しての洗練っぷり、おもしろいがドキドキのカルト期待は大いに裏切られる。むしろこんぐらいストレートに乱歩感出てる映画とかあんのかよ。
フェスらしく最後は生首と花火で大団円。すごい絵面。応援上映が実現すれば観ながらみんなで叫びたいですよね。おかぁさぁぁぁぁん!
『地獄の黙示録』(1979)
なんだ長いだけで大しておもしろくねぇなとずっと思っていたのですが爆音リバイバル上映のときに観直してみたらあれ超おもしろくねフェスじゃねウッドストックじゃねってなる。これが在宅ビデオと映画館の違いかなぁ…と思ったら俺が前にビデオで見てたのは2001年の再編集版で爆音リバイバルで観たのはオリジナル版だったのでした。
そんなベトナム戦争フェス映画。プレイメイト呼んでLSDキメて平和な村をナパーム爆撃。理由? そんなの騒ぎたいからに決まってんだろあとサーフィンとかしたいしサーフィン! 現地住民たまったもんじゃない。
ほんであれですよねウォルター・マーチによる再編集版ちょっと頭良すぎますよね。すごくちゃんとした映画になってて、なんすかテーマとかメッセージ性とかそういうので話に統一感と意味を持たせてるっていうか。
慰安プレイメイト、再編集版だとその後どうなったかの陰惨なシーンが入ってるじゃないすか。オリジナル版、それ入ってないじゃないすか。プレイメイトが来てウォーって兵隊さん騒ぐだけ騒いでそれで終わりじゃないすか。
すっげ無責任すよねこれ。それはほらベトナム戦争のリアルとして見せるべきじゃないすか。じゃないとただ無責任にバカ騒ぎしてるだけの現実逃避的なファンタジー映画とか、いやそれならまだしもいかにも差別的で野蛮な戦争礼賛映画に見えちゃうんじゃないすか…ってたぶんウォルター・マーチは思ったんです。完璧に正論じゃないすか?
そんな感じで政治的に正しい再編集版と明らかに間違ったオリジナル版なのですが、見比べて分かりましたのは正論は全然おもしろくないしむしろアナーキーなフェスの高揚があらゆる正論を無効にしてしまうところが『地獄の黙示録』の凄さだったのに言い訳がましい正論で武装しちゃったら単なるつまんねぇ映画じゃねぇかよみたいななんかそんなことなのでした。
フェスでやってはいけないことは教習ビデオ的に全部出てくるのでメイキングの『ハート・オブ・ダークネス』(1991)と一緒に夏フェス前に見て覚えておこう。
『金日成のパレード』(1989)
やはり人民総動員のフェスは壮大なるスケールでマンセーマンセーなどとふざけて言うことはあるが数十万人規模の人民が一斉にマンセーする光景に触れてしまうと感動すら覚えてしまうので危ない的なポーランド製作の金王朝プロパガンダドキュメンタリー。
しかし意外とフェスフェスしていないのは楽しめないから当たり前とはいえ記念パレードだというのにこの静けさは。ノイズの無さは。段々と感動が空虚に変わっていく感じがあってとてもよい。プロパガンダかくあるべし。
パレードの映画かと思ったら親愛なる金正日同志の偉業を全方面から称える映画だったのでその足跡を追う。金正日同志のおかげで正しい歴史を伝える人民資料館ができたのです、金正日同志のおかげでみんな大好きプロパガンダソングができたのです、金正日同志のおかげで子供向けプロパガンダアニメが…。
北朝鮮事情はよく知らないのですが金正日体制下で金日成のハイパー神格化がこんなにも進んだんだなぁと学んだりします。ナレーターが大真面目に人民資料館所蔵の金日成伝の内容を読み上げるとこ変な笑い出る。「偉大なる金日成は誰よりも優しく、誇り高く、礼儀正しく、愛に溢れ、勇敢で、知性豊かで、国を想い…」みたいな感じにいつまでも終わらない。
このハリボテ感と廃墟感はもはやSFの趣すらあるので気分的には押井守映画。『イノセンス』(2004)か?。あとナレーターは佐藤慶らしいので『東京裁判』(1983)なのですがなんだそれなんか皮肉なのかよ。
『民族の祭典』&『美の祭典』(1938)
自然崇拝が国粋主義に容易に転ずるというのは『美の祭典』の裸人が森を駆け抜けるという美しいイメージショットのオープニングを見るになんとなく分かるがそんなことはともかくこれを見ると本当はリーフェンシュタールが脱ぎたかったんじゃないか説が浮上し、強引売り込みにより出演の『聖山』(1926)では波打ち際で太陽光を全身浴びながらダンス・ダンス・ダンス、レニが舞えば波も舞う、レニが歩けば風も祝福…とこの人は自分に絶対の自信があり世界は私のために動くのよ幻想に憑りつかれているので映画の中でも聖山と一体化し哀れな男どもを生贄として(当然のように)要求するのでしたが、つまりそういうリーフェンシュタール節なので美しすぎる聖乳を人に押し付けたくて仕方がなかったと思われるのだ。
ということで1936年ベルリン・オリンピックを全力陶酔で記録したプロパガンダフィルム史上の最重要人物レニ・リーフェンシュタールの名作プロパガンダはプロパガンダ感とか別にないが映像はカッチョイイよねっていうところが最強にプロパガンダ。リーフェンシュタールはいかに被写体を力強く美しく切り取るかぐらい(あと自分)しか興味がなかったと思われるので、なんか逆に普遍性を獲得してしまいええ感じにその透明さがナチに使われたわけです。
第一部が『民族の祭典』。競技場での陸上競技メイン。第二部が『美の祭典』で競技場の外でやるマイナー競技・団体競技いろいろ。『民族の祭典』の方は陸上選手の躍動をフェチ的に撮りながら観客の声援興奮&ブラス音楽を過剰にモンタージュして煽りまくるフェス的にアゲアゲスタイリッシュだったのですが、『美の祭典』はもっと落ち着いたというか射撃競技の場面にブルジョア嫌悪の趣があったりあと団体競技の扱いがすごい雑とか気持ちシニカル風味。リーフェンシュタールは群れたり形式ばったりするのがお嫌い。
世界と対峙する単独者としてのアスリートにたぶん自分を重ね合わせて超気持ちよくなっていたリーフェンシュタールに萌えつつその独立独歩というかむしろ体制を拒む態度がフェスに集約されることで全体主義に転化する皮肉が実に痛い、最強のフェス映画にしてアンチ・フェス映画が『民族の祭典』なのでしたとさ。
【番外フェス】
『ドゥームズデイ』(2008)
フェス映画といえばある意味近年最大のフェス映画は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)なのかもしれませんがいや待てちょっと待てよ『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、これおもしろすぎるんじゃないの、最高すぎるんじゃないの?
つまり完成されすぎて逆にマッドがマックスどころか超クレバーになってしまったんじゃないかの疑いがあり、そんなフェスは果たしてフェスと呼べるのかと別にフェスを称してないのにとばっちりクレーム。
管理しておもしろさを追求するか管理しないで成り行きに任せるかみたいの、きっとフェス永遠の課題。このあたり初代ウッドストックとそれ以降のウッドストックを隔てる点であり『グラストンベリー』でも俎上に上げられておりましたね。
ほんでこちら『ドゥームズデイ』ですがウッドストックのクレイジーにヤラれたマイケル・イービスのように多感な青春時代に『マッドマックス2』(1981)のクレイジーにヤラれた『ディセント』(2005)の(もはや懐かしい肩書)ニール・マーシャルが、着実に積み上げてきたキャリアの全てを投げ打つ覚悟で開催してしまったニール・マーシャルのニール・マーシャルによるニール・マーシャルのための俺様グラストンベリー。
時はいつだか知らんがベタな近未来、グラスゴーで発生した破滅的なウィルスの蔓延を防ぐためスコットランドは巨大な隔壁で覆われてしまった。憐れ見捨てられた住民たち。神のご加護を…と思われたが軟弱なイングランド野郎と違ってスコットランド人はウィルスごときで死にはしない。イングランド支配から解放されたスコットランド人は部族社会回帰の肉食系パンクスと中世回帰の草食系コスプレオタクの二大勢力に分かれて日夜ロックフェスと中世フェスに明け暮れてるんであった。
ヘッドライナーはジョージ・ミラー&ジョン・カーペンターのスペシャルユニット。オープニング・アクトは『ニューヨーク1997』(1981)。そこから『ウォリアーズ』(1979)、『エイリアン2』(1986)と続けばオーディエンスの熱狂は当たり前ですが意外なところで『メガフォース』(1982)、そしてマルコム・マグダウェルによる『エクスカリバー』(1981)カバーを挟んだステージ構成にオールドファンも思わず唸る。
…つまり要するに、ニール・マーシャルが好きな懐かしアクション映画のオマージュとパロディを数珠繋ぎにしてニール・マーシャルが好きなニューウェイブあたりのUKロックをバシバシ垂れ流すだけの映画ですがでもこれでいいんだよニール・マーシャルのグラストンベリーなんだから!
想像しろよ! モヒカンのフロントマンがステージで舞い踊るパンクス食人族の肉フェス場面でアダム&ジ・アンツとスージー&ザ・バンシーズ、ファイン・ヤング・カニバルズ(!)が流れるんだぞ! グラストンベリーだろ! 『マッドマックス2』冒頭の名カーチェイスを完璧にパロりながらフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの『Two Tribes』かけるんだぞ! バカだろ! いやバカとか言うなよグラストンベリーなんだよ! フェスなんだよ! 懐古じゃねぇよいや懐古だけどエンドロールはカサビアン『Club Foot』だよ! 合唱だろ!
つまりこう言いたい! 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が失ったものがここにはある! オリジナリティとか微塵もないがこれこそ『マッドマックス』シリーズ魂の続編だろこれこそフェス映画だろと無謀にも言いたくなってしまう何かがある!
いややっぱ無いと思いますけどそんな風に錯覚させてくれるのがフェスですからこれでいい。
【ママー!これ買ってー!】
いちばんフェス感のないフェス映画です。
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だからそのくちわりぃのと上から目線なんとかならねぇ?たまたま目にしたblogだけど気持ち悪すぎてわらうわw
モンタレーは観た?
ウッドストックはクソだった。冗長で退屈。見どころはザフーとジミだけ。ジミ後半は1弦切ったまんまだよ。誰も指摘してないが。
特典映像のジョニーウィンターは良かった。
何故こんな映画に憧れてたんだろう。ラリっても無いのに
モンタレーは何度観ても素晴らしい。
モンタレー見てないです。なのでモンタレーの事は分かりませんがウッドストックが冗長で退屈っていうのはちょっと分かります笑
あれ撮ってる方もヒッピー的っていうかニュージャーナリズムみたいな感じで撮ってるから作り手の主張とか社会派的な気負いで肝心のステージが結構埋もれてしまっているように感じました。
そもそもフェス自体の運営も突貫工事みたいなところがあったと思うのでアーティスト側にとっても到底ベストなプレイとはいかなかったんだろうなぁ、とか思ったりも。
僕はそういうところが映画として自由な感じがして面白かったんですが、モンタレーもまた別の意味で面白そうなので、今度見てみます。