どんどん溶けていきます海の中の歌のように溶けていきます最後はもう何も残りません。ヒカシューにそういう歌ありましたよ『ドロドロ』ね『ドロドロ』。溶けて~ゆく~よ~。
そんな感想『夜明け告げるルーのうた』+『マンチェスター・バイ・ザ・シー』+『おじいちゃんはデブゴン』です。どれも境界と忘れたい過去にどう向き合うかというお話。どう溶かすか、忘れるか、という…。
※睡眠鑑賞のためほぼ見てない注意と見ていなさ過ぎてネタバレがあるのかどうかもわからない注意
『夜明け告げるルーのうた』
《推定睡眠時間:0分》
このタイトルでしょ。『夜明けのスキャット』かと思うじゃない。でも見てみると違うじゃない。ル~ル~ル~ル~ってセイレーンの歌みたいじゃない。でも見てみると関係ないじゃない。
なんか、センスなんじゃないすかそれは。面白いからネタとしてサンプリングしてるだけで意味とか別にないんすよ。DJ的ないや何がDJ的かよく知らないけどDJ的なネタの使い方! なんの未練も残さずに、セイレーンだけは残しつつ、この清廉!
死ぬほどおもしろいとおもうが天才的にリア充感覚すぎてクソッとはちょっとおもう(それがまた嫌味のないナチュラルなリア充感覚なのでまた余計にクソッと思うがクソッと思えばクソッと思うほど自分をクソッに落とすだけなのである…)
早速閑話急脱線しますがただいま公開中の『メッセージ』、一応見てない人に配慮して詳細は控えるがノンリニアというのがキーワードであり、そのなんというかノンリニアを巡ってなにやらデカイお話になっていくのですが、ノンリニアとは何かと言えばこれ『夜明け告げるルーのうた』がこともなげに体現するものなのであった。
デヴィッド・リンチのクズ(を描いた天才バカボン的)アニメ『ダムランド』同様のという前置きはなにかが間違っている気がするフラッシュアニメだそうだから余計にノンリニアなのですが、それを踏まえれば『メッセージ』を運ぶ宇宙船がどこまでも続く内陸の大平原に存在しなければならなかった意味が見えてくるようにも思える。
ノンリニアは海の属性であるし、海の機能は忘却であるし、『メッセージ』の主人公である言語学者は、悲劇的な死の記憶にどうにかして向き合わなければなからなかった…『メッセージ』の、『ボーダーライン』の、『灼熱の魂』のドゥニ・ヴィルヌーヴは砂漠の監督であり…彼が続編を手掛けた『ブレードランナー』は何をおいても「雨の中の涙のように」溶けてゆく記憶に関する映画だったのだ…。
海から人魚、人魚からワン魚、ワン魚からドゥニ・ヴェルヌーヴ。いつの間にかドゥニ・ヴェルヌーヴ論になっているが10メートルぐらいはある直立人魚が町に遊びに来ても誰も気にしない大らかな『夜明け告げるルーのうた』だから感想の方でもそれぐらいの異物混入はノーマルの範疇ですよね。生きてるね! 活き〆ですから! 燃えてるね! 活き〆です…から? てなもんですよ。
『崖の上のポニョ』と似てるとの声が。『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』のようだとの声が。好き好き大好き大連呼の人魚ルーが戸川純のようだとの声もある(ただしこちらは電波観測)。
たぶんこれはサブカル特有の臭みのない、血抜きしてセンスだけにしたもう嫌なところがない面白いだけのサブカルである。それが証拠に湯浅政明の前作『夜は短し歩けよ乙女』の主人公は星野源だったじゃないか!
それでいて何一つ衒うことなく震災のフォークロア化による癒やしつー世俗的感性をこの映画と湯浅政明は信じてるんである。テクノロジーとセンスの最先端で。
それは、みんな好きになっちゃうよ。好きにしかならない映画だよ。ルーを見たらみんな勝手に踊りだしちゃうのとおんなじだ。
超おもしろくて、おもしろい分だけ、だから俺はこの映画を何度も反芻しながら強烈な敗北感に苛まれてんである。ドラッギーというのは表現内容ではなく愛想相半ばしつつ決してやめることができないし忘れることもできない、体験においてドラッギーなのである…。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
《推定睡眠時間:70分》
睡眠時間70分! なんか穏やかな海を背景にした女声コーラス聴いてたら寝てしまったのであれはセイレーンの歌声だったのではないか。セイレーンは、『夜明け告げるルーのうた』において主人公が所属するバンドである。映画を超えて繋がる海物語の輪。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。基本的には見れてないため詳細不明、いつもふてくされたケイシー・アフレックが兄の急死を受けて甥の世話をするハートフルゆるコメディだったと思うのですがハートフルってheartfulじゃなくてhurtfulなので辛いこれは笑えるが辛い、事情は知らないが最後の方で元妻と再会したときのケイシー・アフレックめっちゃくちゃ辛そうだったからたぶん苦しい度の高い映画に違いない。
それにしてもこのタイトルは町の名前だったんですね。それも後からネットで検索して初めて知ったわけだからそんな基本的な情報も知らないのかと愕然としたよ自分で。マイチェスター・バイ・ザ・シー、ボストン北の港町。だからオープニングは漁船に乗って戯れる少年と父親(?)の図。
なにせ見ていないので憶測になってしまうがこれがたぶん幼い頃のケイシー・アフレックでしょう。あれだったら結局最後まで画面に確認できなかった兄貴はどうしてそこにいないんだろう。兄貴は漁師とか嫌だったのか。臭ぇとか言って。だせぇとか言って。もうまったく憶測でしか書けない。
確かなことはトラウマ的な過去に関する映画だということで、まぁ、とにかく、大変、とにかく悔恨に悔恨を重ねて大変な人たちの話だったのではないかな。その一般論はなにか! いやしょうがないじゃないすかだって見てないんだから…。
だいたい、肝要なのはそこではないと傲慢にも言い切りたい! 『夜明け告げるルーの歌』で主人公がなぜ片親なのか全然語られないがだからと言って! 映画の面白さが損なわれるわけではないだろう! なぜそうなったか、そんなものはどうでもいいことだ!
大事なのは、理由じゃなくて苦しんでいるという事実! …ただまぁその事実も見てないからじゃあ何を見てたんだという話になりますがケイシー・アフレックが甥となんかやってるとことかバーで誰かに殴りかかるところとかあと甥が彼女とヤろうとしてコンドーム探すとことか見てなんかアキ・カウリスマキの映画みたいだなぁって思いました。
『おじいちゃんはデブゴン』
《推定睡眠時間:80分》
ロシアとの国境沿いの町に隠居した元凄腕の兵士サモハンは地元ギャングの殺人を目撃するが警察の面通しでは見たはずの犯人の顔がわからなかった。サモハンは認知症だったからだ。俺も犯人が誰かわからなかった。開始5分、既に意識が朦朧としていたからだ。
感動的な場面がある。詳しい事はわからないが、なにかとサモハンを気にかけてくれている大家のおばさん(サモハンは名前が覚えられなかったが、俺も名前を覚えていない)に、ギャングとの戦いを決意したサモハンが秘めたる思いを語るのである。
だが何を言ったのかは覚えていない。覚えているのはなにか感動的だったということである。サモハンもやはり、自分が語ったことを覚えてはいないだろう。
長い眠りの後で目が覚めるとそこにユン・ピョウがいた。なぜユン・ピョウがいるのか。そしてサモハンが手にしたICレコーダーが意味するものはなにか。わからない。ユン・ピョウもサモハンも俺もみんなわからない。
なにもわからないままサモハンはギャングとの戦いとそこにあったであろう悲劇を忘れて平穏な忘却の日々に戻るのだった。こちらとしてもそれを見逃したらもはやなんのために見に行ったかわからない格闘シーンまで丸ごと寝過ごしているため何が起こったのか知ることなく平和に映画館を出る。
まぁなにもわからないけれど、俺の僅かばかりの記憶の中では娘を失った過去に苦しめられていたはずのサモハン、最後は穏やかに眠りながら幸せそうに笑ってたからなんか良かったです。
【ママー!これ買ってー!】
ルーに対抗してクゥ!
こんにちは。良く眠られたようですね(´-`).。oO全米泣いても俺泣かない。『マチェスター』見ましたが、実家とか故郷とかがある方には、苦く共感する部分があるかも、でした。劇伴がキツかったなあ。
あ、すみません、『マンチェスター』だ(´-`).。oO
なるほどそういう映画だったんですか…ケイシー・アフレックはすごい良かったので見直したい感じはありますね…
なんてったって、オスカー