ハーフ実録映画『ローマ法王になる日まで』の感想

《推定睡眠時間:30分+5分》

パンフレットの監督インタビューでダニエーレ・ルケッティは語っている。

ベルゴリオ本人(※フランシスコ法王の本名)が自分についてどう語っているかを調べようとして、幼少期についての記述なんかを探した。それがどうも事実とは思えなかった。何かしら自分を観念的に描こうとしているように感じられた。自伝を他の人間のための教示的な物語にしようとする意図が感じられたんだ。

枢機卿時代の老ベルゴリオがコンクラーベのためバチカンを訪れる導入部がなんかもう象徴的なのですがつまりこれは、宗教映画というより政治映画でしかもハードな政治映画でそしてルケッティという人はフランシスコ法王を政治家として見てるんである。

そうだったのか。そういう映画だったのか。お勉強的伝記映画かとおもっていたのでギャップ萌えでやけにおもしろく感じてしまったな。
いつものように寝てしまったが寝てしまったところで何が描かれていたのか見たかったので2回目を観に行ってついでにパンフレットまで買ってしまうくらいにはおっもしろかったですねあれそれ超おもしろいんじゃないのはい超おもしろかったです…。

しかし注意しておくべきはインタビューでルケッティも明言しているようにこの映画は事実をベースにした半フィクション半ノンフィクションつーことで主に描かれるのは軍事政権下で暗闘していたベルゴリオのアルゼンチン管区長時代なのですがこれはルケッティによれば「多くの素材をもとにした解釈」で「なかには完全に架空の人物もいる」ということ。

そのへん、伝記として見るには距離を置かなければいけないな扱うモノがモノだからなとは思うがそう思いつつもおもしろいのもまたそのへんだった。その襞というか。
なにやらフランシスコ法王に惚れてしまったらしいプロデューサーからこれすごいから映画にしろと渡された脚本を雇われ監督のルケッティは破棄(「ごく普通の脚本だった」)、「たぶんウィキペディアのコピペとかでできていた」伝記本はどれも使えないものばかりだったので自分でアルゼンチン取材に行って俺流ベルゴリオ物語を組み立ててしまった。

この左翼ジャーナリズム感。たぶんきっと察するにいや明らかにプロデューサーと違ってベルゴリオ管区長に興味を抱きつつフランシスコ法王には不信感を抱いているルケッティなのだったが法王を悪役にするわけにもしかないしみたいな微妙な歪みが映画製作の政治的判断か。
フランシスコ法王の伝記映画を口実にビデラ政権の大弾圧がどれだけ酷かったか見せつけてやろうの魂胆も透過度80%ぐらいで透けて見えるのでなんか裏も表も政治の臭いで溢れている。
一応宗教映画なのに信仰がどうとかまったくと言っていいほど問題にならない一方で粛正の光景はリアリスティックに執拗に描写されんである。

おもしろいというのはその厚みのある政治性が物語とは別の水準で張りつめた雰囲気を漂わせていた気がしておもしろいかったのだった。
アルゼンチンで撮っていますがイタリア映画。イタリアの政治映画ってなんかやたらおもしろくないですか重厚感あって。政治思想とネオレアリズモの伝統がある国は、つよい…(なんでリアル政治は弱いんだろう)

それで映画の内容はというと内容はというと…まぁ詳しいことはよく分からないな馴染みの無いアルゼンチンの現代史だものそれは教養いるよ描かれる出来事の説明とか基本ないし、ていうかこれで当初のバージョンより説明加えて分かりやすくしたって言ってたからねルケッティじゃあどんだけハードコアな政治映画だったんだよその当初のバージョン!

とにかく俺に理解できたのはなんか知らないがアルゼンチンの人は70年代80年代でとても大変な目に遭いましたしベルゴリオも超苦労したということですね。神父になると決意した学生時代、飲み屋で友人たちと飲んでいると軍服の男たちが絡んでくる。神父だと! 貴様ペロン支持者か! いやいや違いますと否定すると今度は労働者風の男たちが割って入る。なんだと貴様! 神父のくせに反ペロン派か!

俺のレベルで言うとペロン誰だがそんなことよりここから俗世と教会の、実利と信仰の、軍事政権と反体制派の…と間に間にひたすら挟まれまくるベルゴリオの板挟み人生が始まるのだった。
板の間で面従腹背、角を立てないよう立てないよう丸ーくソフトに対立をスライドさせていく政治的才覚とその苦悩が信仰に先立ってルケッティがベルゴリオに見出したものなわけで(だからルケッティはベルゴリオが改革派を装った保守派だと強調する)、”バラのつぼみ”じゃあないが何故ベルゴリオは「結び目を解くマリア」に惹かれたのかということの絵解きだったのだ要するにこれはこの映画は。

板から板へ渡り歩いた末の法王選出で思わず笑っちゃうベルゴリオ。この笑いよかったなもうしょうがねぇなっていう諦念混じりの苦い笑いで。もうさんざん政治やってきて疲れたのにまだ政治やんなきゃいけないのじゃあもういいっすわ最後までやりますわみたいな。贖罪としてのローマ法王就任。
再開発で立ち退きを命ぜられたスラムの住民と共に、警官隊に囲まれながらベルゴリオが路上ミサを行ううつくしい場面があった。宗教つーても信仰つーても結局逃れられないのよ政治からは、とベルゴリオが腹を括った瞬間としてルケッティはこのデモンストレーションを最大限称揚するのだった(とおもうよ)

【ママー!これ買ってー!】


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いやもう何一つ関係ないよ。

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