《推定睡眠時間:10分》
『新感染 ファイナル・エクスプレス』はプロレスラーみたいな人がゾンビ列車に乗り合わせていてしかも善い人だったからすごく助かったという映画だったがそのプロレスラーみたいな人がゾンビにたじたじの主人公を助けて言う。「ありがとうは?」。
何人たりとも安全圏にはいられない。自分だけが得をすることは許されない。『新感染』にはインターネットによって再部族化された現代社会の重要な原則が示されていたように思うがそんな世の中で物を言うのは! 「ありがとう」そして「ごめんなさい」、やはり「ありがとう」そして「ごめんなさい」のシンプルなコミュニケーションなんだろう。
なんかあった時にはとりあえず「ありがとう」と「ごめんなさい」。モラルとか常識とかの話ではない。部族的現代社会のアウトラインを描く『新感染』に対して部族的現代社会で「ありがとう」「ごめんなさい」を言えないと命に関わるという実戦アドバイスを肉体教示するのが老シュワ映画『アフターマス』であった…。
でも『新感染』はありがとうもごめんなさいも言えないそこそこ金持ち主人公が何百倍もの報いを受ける映画だったからその方程式をシュワに適用するとありがとうとかごめんなさいの言う言わない以前に主演作のキルカウントが100とか平気で超えてしまっているシュワは何百倍も報い受けたら隕石衝突ぐらいいかないと釣り合わない。
結婚を控えた妻の乗った旅客機がクリスマスに他の飛行機と空中衝突して全壊とかいう考えられない大惨事もシュワ業か、それにしても『ジングル・オール・ザ・ウェイ』とかシュワのクリスマス本当に悲惨だななどと書こうとしたところで思い出す「実話を基にした」のテロップ。
あぶない不謹慎になるところだった…のだがでも基にしたのは空中衝突事故の部分で事故で妻を失ったシュワと事故の責任に堪えきれずおかしくなってしまう管制官スクート・マクネイリーのお話は創作らしい。でもとりあえず言っておこうごめんなさい。そういうな、そういうふざけたこと言う映画じゃねぇからこれ!
どういう映画というと現場監督のシュワがあり得ない飛行機事故で妻を失って。もう、失意のドン底なんですけど、一方その頃事故の責任を感じまくった(あと色んな人から人殺し呼ばわりされたりした)管制官もドン底。事故前は妻子としあわせな日々を送っていたのだったがー、こんな生活堪えられんと妻子も出ていく。
もはや守るものはなにもない。誰もごめんなさいを言ってくれないのでごめんなさいの一言を求めてただひたすらに彷徨うシュワとそして職を失い家族も失い自殺を試みる(元)管制官。はたして壊れたオッサンふたりの運命や如何にというわけでやはりふざけたことを言える映画じゃないだろ重過ぎるよね…!
監督はジェイソン・ステイサム主演の刑事アクション『ブリッツ』を手掛けたエリオット・レスターと宣伝文に書いてあるがなんか知らんけどそういうの言わない方が良かったんじゃないかと思ってしまうぞこの重さ。
でも面白かったですねすごい曇天感つーか、全然煮え切らないしなにも解決しない感じね。真面目ということなんじゃないですか、こういうスッキリしない映画。大惨事の責任は誰にあるのかつーことが話を引っ張っていくがー、これが悪いとかこれだけが悪いとか名指しできるものって現実にないよねを率直にメッセージする映画なので真面目。リアリズムとかそういうことではなく。
このへんモデルになった「ユーバーリンゲン空中衝突事故」にそれなりに準拠してるぽい事故シーンは誠実に嫌なシーンであった。いつも管制官二名体制のところを訳あって片方席を外す。ちょうどそのタイミングで電話の修理屋到来。ちょっと修理するんで1~2分ぐらい電話繋がりにくくなるかもしれませんとか言う。徐々にピタゴラ装置が組み上がっていく感があるが、管制官は仕事熱心で良い人だったのでそんなの無理っすよとか言わないで頑張って一人で現場を回そうとする。それがピタゴラ装置の最後のピースなのだった…。
よく人間の権威への弱さの例証として引き合いに出されるミルグラム実験というのがありますが、その度に違和感を覚えるのはミルグラム実験の結果というのは仕事熱心で社会人としてちゃんとしてそうな人ほど最後までボタン押したりするとかそういうの意味してたはずで、それ権威に自分の行動の責任を委ねる人の弱さの問題かっていう話なんである。
ちゃんとした大学の研究室で行われる世のため人のためになりそうな実験だったら途中で投げ出さないで最後まで協力しようそれが世のため人のため市民としての義務お小遣いももらえるし、というような思考過程を実験中に辿った真面目な人は結構いたんではないか。
権威権威言うが権威といっても神意や暴力に基づく封建的な上から権威ばかりではなく信頼に基づく民主的な下から権威というのもあるのだし、そこ一緒くたにすんの雑じゃんなのだがなんで急にそこフライトしたかというと! いや、なんか本当、そういう、いろんな信頼とか善意がことごとく悪い方に作用してしかも連鎖してく、ピタゴラ事故を契機に善きものが全部ピタゴラ裏返っていく、そういう展開になったわけですよ『アフターマス』…。
まぁだからあれだな、管制官の人がテレビで自分のことが報道されているのを見てうわぁってなってしまうシーンもあれば、そういう類のテレビとかネットとか見て正義感に駆られた人が管制官の家を特定して人殺しとかなんとか落書きしたりするシーンもあったりしたが、なんか変な社会正義とか身の丈を超える善意に駆られて行動すると裏目に出たりもすると、この複雑にして原始的なサイバー部族社会では。
だからこれは教訓なんですよ。物事を根本から変えようとしたり、問題を根絶しようとしたり、生活世界の思考やモラルを超え出でようとする意識の高さは必ずしもよい結果をもたらすとは限らないんだから、もしも想像を絶する大惨事に遭遇したらとりあえずありがとうとごめんさいでスルーしとけという教訓。
自らの下半身アフターマスをありがとうとごめんなさいで乗り越えた州知事の政治的教訓は、あまりにも沁みる(そして痛い)。
【ママー!これ買ってー!】
公式サイトによるとアフターマスとは「災害・大事件・大事故で引き起こされるその状況を表す言葉であり、余波、結果、後遺症、痛手などを示す」らしい。こういう政治的ジャルゴンなタイトルはやっぱ911アフターマス映画な『コラテラル・ダメージ』を意識したんじゃないすかねぇ。