《推定ながら見時間:シーズン総計50分》
『ゲーム・オブ・スローンズ』も『ウォーキング・デッド』も何も見ていない。すごいことになっているそうな海外連続ドラマの波に乗れていないので他との比較はできないがこれ傑作じゃないですかね『マインドハンター』。
元FBIプロファイラーの回顧録を基にしているそうなので劇的な展開とかほぼほぼないが、スーパープロファイリングでキャラ立ちしたシリアルキラーをバシバシひっ捕らえていくようなキャッチーな見せ場皆無だが、っていうかプロファイリングの手法を確立していく過程を描くドラマだったから捜査自体あまりしないが、犯罪プロファイリングとシリアルキラーの組み合わせなんて手垢ベタベタだが…それでも面白いので芯の通った作品つーことじゃないすか。
総監督デヴィッド・フィンチャー。なによりフィンチャーの中間決算的な内容になってんのが溜まらんかったですね。こりゃ箱を開けなかった『セブン』、『ゾディアック』の拡大版、『ファイトクラブ』の自己分析、やがて『ソーシャル・ネットワーク』に行き着くフィンチャーの見てきたアメリカのすべて。
(ネタバレはたぶんないです)
お話はFBI捜査官の若造がやらかしてしまうところから始まる。このホールデンとかいう物を知らないくせに自信過剰で周囲の人間を全員バカだと思ってる冷笑家で人の話をあんまり聞かない独善的ないけ好かない若造はFBI捜査官としての己の能力を疑ったことなどなかったが、所轄の警官を見下しながら半笑いで立てこもりキャッチーガイのネゴシエーションに当たったら壮絶大失敗、自身の薄っぺらさを突き付けられてめちゃくちゃ動揺してしまう。
折しも時はシリアルキラー花盛りの70年代。死体をあーしたりこーしたり性交したりとわけわからん殺しをやる連中の大量発生にFBIも大いに困惑、動機の理解できない殺人鬼をどう捜査せいちゅーねんとホールデンともどもすっかり自信も威信も無くしてしまってたのだった。
こりゃ新しい捜査手法の創出が急務。変態殺人鬼の理解なくしてFBIの復活なし。かくして両者の思惑一致、予てより犯罪心理学の啓蒙活動に勤しんでいた行動科学課のベテラン教官・テンチと合流したホールデンの自分探しダークツーリズムが始まる。なんか名だたる変態殺人鬼のインタビュー録ってくわけです。エド・ケンパーとか。
ていうわけで見所はやっぱりエドケンほか実在の変態殺人鬼とホールデン&テンチのバトル会話っぷりだったんですが、実は意外と数は出てこなかったな変態殺人鬼。エドケンの他に出てくるのはジェリー・ブルードスとリチャード・スペック。殺人マニアじゃないのでこれは全然知らない。チャールズ・マンソンとかデヴィッド・バーコウィッツ(サムの息子)みたいな人気の高いやつは言及に留めておくあたり、なんとなく作り手の姿勢が表れている。
数は少ないぶんエピソードを跨いでじっくりバトル会話やる。バトル会話っていうか別にこれは尋問とかじゃなくて聞き取り調査なので基本は砕けた調子のゆるゆるダイアローグなんですがー、話している内容は大したことないのにその内実は嘘とマウンティングと誘導とちょっとした加虐に満ち満ちていて大変スリリング。タマゴサンドの注文すら半端ない緊張感を帯びるこわい会話劇だった。
でももっとこわいのはたぶんこういうところだったと思いますね。最初は鬼畜にしか見えなかった変態殺人鬼どももじっくり話聞いてるうちにわりと普通のなんならちょっと良いやつに見えてくる。何のことない会話の裏に嘘とマウンティングと誘導と加虐があるっていうことに気付くと誰もが変態殺人鬼と変わらなく見えてくる。
こわいなぁ。価値観ぶるぶる。基本は会話してるだけのドラマなのに嫌な汗出る出る。会話してるだけなので早く誰か殺されないかと見てる側として期待してしまうところはあると正直に言っておきますが、俺みたいな平々凡々な一般人こそが心の中では密かに自分じゃない誰かのえぐい死を見たがってたりするっていうあんまり認めたくない事実を終いには突きつけられて、大いにハートを抉られるのだった。
シリーズの核は変態殺人鬼とホールデン&テンチのバトル会話なんでしょうが、なんぼなんでもそれだけということはなかったので一安心。アメリカ全土津々浦々の警察署を巡って粗野な所轄警官どもに犯罪心理学を教える二人は行く先々で地元警察の理解をキャパオーバーしてしまった謎事件の相談を持ち掛けられる。
このへん王道の警察ドラマって感じで、続々とクセモノが仲間に加わってチームが出来上がってくとかそういう定番の面白いやつもあったりしたから、シーズン通しで見ると結構バランスの取れた構成になっていたなこれは。
フィンチャーの監督するエピソードは美意識全開。オーソン・ウェルズとかスタンリー・キューブリックとかリドリー・スコットとか影響が色濃く出たぽい(あとハンマースホイとか参考にしてるのではないかとおもう)無機的っていうかテクノ的っていうかな映像めっちゃかっこいいぞ。
被写界深度の深い奥行きのある構図の中で幾つもの動線とアクションを置いて同時進行させてみたりとか(とくに必要があるとも思えないのに)サラッとやってしまうから、参る。
こういう作家主義的アプローチがある一方、リメイク版『悪魔の棲む家』のアンドリュー・ダグラスが担当したブルードス絡みのエピソードは濃いキャラいっぱいケレン味いっぱいの娯楽編。ブルードス初登場のエピソード7は俺としてはシーズン1の裏ベスト(表ベストは言うまでもないから言わない)って感じで、まーとにかくこのブルードスという男の底知れなさが強烈、ホールデン&テンチとの丁々発止虚々実々のやりとりはフィンチャーの無気味ダイアローグとは正反対のエキサイティングなこわさが充満してて見応えあったなぁ。
サプライズはトビアス・リンホルムの起用で、誰かと思ったらマッツ・ミケルセンのクリスマス地獄篇『偽りなき者』の脚本書いた人。当然というかなんというか、今回担当した2つのエピソードもただただ凹むばかりの心底厭な話。
これも必見。
フィンチャーのリメイクした『ドラゴン・タトゥーの女』は全然楽しめなかった。というのも外面の均質さとか乱れのなさを是とするフィンチャーの映像美学はキャラクターの差異を曖昧にしてシンボル的な個性を剥ぎ取ってしまうからで、そういう演出は『ゾディアック』みたいな無気味映画だったら抜群の効果を発揮するかもしれないがもっと一般的な映画だとやっぱり退屈に映るんじゃねぇかっていうのは正直ある。
そういう意味では毛色の違う監督色々入れたドラマシリーズっていうのはフィンチャー作品の最適解なのかもしれないと思いましたね。フィンチャー演出のエピソードだとマネキンみたいなホールデン&テンチがアンドリュー・ダグラスのエピソードとかだと熱血捜査官みたいになったりして、その温度差が妙に面白かったり。
キャラクターに血が通ってるぶんだけ、異常と正常の不可分な関係とかノーマルから外れることの恐れとか男らしさへの強迫的な憧れっていうアメリカの病理的なフィンチャーの毎度のお題目も生きてくるってもんじゃないですか。
さて理解できないものとの対話を通していろいろ学んだホールデンは新たな自分に生まれ変わっていく。こういうのはなんて言うんだ。ピカレスクというとなんか違うな。ビルドゥングスノワールとか言うのか。何語なんだそれは。ともかく、そういう意味では『ファイトクラブ』の地に足の着いた別バージョン。
各エピソードの冒頭にはセキュリティ会社の社員の挿話が入る。あれ途中まで全然意味わからんかったんですが最後まで見たらめちゃくちゃ悲しい話だったな。あれはたぶん『ファイトクラブ』に入れなかった人で、ホールデンになれなかった人だ。全然関係ないようでホールデンとは裏表の関係にある、〈アメリカの男〉の仮面を脱いだ率直なフィンチャー的人物なんだと思いましたね。
音楽よし。デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカンズ』から『Right』を持ってくるところは鳥肌。タイトルバックは完全に『セブン』セルフオマージュ。腐乱死体のサブリミナル的なモンタージュはシリアルキラーのオブセッション、毎回見てると効く。ホールデンという名の男が異常か正常か、インタビューで変態殺人鬼の正体を見極めていくといえば、『ブレードランナー』ネタなんじゃないかとニヤニヤできる。
エドケンの恐さと可愛さとキモさの配分はよかった。俳優キャメロン・ブリットン。陰鬱で不安なストーリーの置石になって安心させてくれるテンチ捜査官はホルト・マッキャラニーという人が演じているそうですが『ファイトクラブ』に出演、とフィルモグラフィーに書いてある。どころか『エイリアン3』にも出ているのである意味フィンチャーの糟糠の夫。安心感にも納得する。
おもしろいキャラが集まってはきたがまだチームものっていう感じじゃない。抑制されたビターな人間模様の面白さは次シーズンに持ち越しか。はやくみたいすね。
【ママー!これ買ってー!】
『ゾディアック』には刑事が『ダーティハリー』を見る場面があったが『マインドハンター』では『狼たちの午後』が引用されていたので関連大。
↓その他のヤツ