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嫌なヤツが出てこないバカ爽やかなドウェイン・ジョンソン映画。高校時代のドウェイン・ジョンソンは百貫ぽっちゃり(メイクと顔合成ぽい)のいじめられっ子でという設定もそのいじめられっ子時代のドウェイン・ジョンソンすら教室の隅で息を潜めているわけではなくシャワールームで贅肉を優雅に揺さぶりながら一人歌い踊る隠れお調子者なので徹底して根明。
全校生徒の前に全裸で放り出される手酷いいじめを受けたドウェイン・ジョンソン(贅肉)に手を差し伸べたのは運動部の花形選手ケヴィン・ハート。でそこから10年ぐらい経って、面白くて優しくて良い人だが出世競争に敗れた情けない残念な人扱いされてるケヴィン・ハートの前に突如としてドウェイン・ジョンソン(筋肉)が現れる。
ドウェイン・ジョンソンは一日にして成らず。いじめの屈辱を闘志に変えて、血の滲むような努力の結果、ドウェイン・ジョンソンはドウェイン・ジョンソンになったのだ。アメリカの筋肉スターの象徴的役割だ。
もうかつてのいじめられ贅肉の人じゃないのでバーでケヴィン・ハートに絡んできた暴力白人をドウェイン・ジョンソンは瞬殺してしまう。頼れるししかもめっちゃナイスガイでハッピーかつお茶目なところもあるドウェイン・ジョンソンはケヴィン・ハートにとても恩義を感じているらしいのでケヴィン・ハートとしてもまんざらでもない。
人には優しくしておくものだ。なんだか浦島太郎のような話である。
だが亀の恩返しに裏があったようにドウェイン・ジョンソンの恩返しにも裏がある。ていうわけで正体は元? CIA局員だったドウェイン・ジョンソンのせいで定番ののっぴきならないCIAトラブルに巻き込まれたケヴィン・ハートの珍大冒険が始まるのであった。
とにもかくにも良いのは嫌なやつが出てこない。嫌なやつが出てこない。これは大事なポイントだから三回ぐらい書いておく必要がある。悪役は出てくるが嫌なやつが出てこない。これで四回目だ。正確に言えば、嫌なヤツは出てくるがちゃんとぶちのめしてくれるから心配無用。平和な映画なんである。
頭はおかしいが友達思いで屈託のないドウェイン・ジョンソンと人に怒ったり暴力を振るったりすることができないケヴィン・ハートの長閑なバディっぷり。喧嘩とかしないんですよね。ケヴェン・ハート良い人だから文句あっても抗議がやわらかい。そんなケヴィン・ハートの抵抗を全てYESと受け取り笑顔で引きずり回す強引ドウェイン・ジョンソン。BLか。
これぐらいのものは大量生産できる体制なんだろうな、ハリウッド。よく配慮されているがギクシャクしたところの感じられないPC印のジョークに素直に笑う。うーん、それは差別かな、のケヴィン・ハート台詞で笑わせてくるぐらいには巧みなわけですよ。お前は黒いウィル・スミスだな! とか。練られてますよねどんな客でも気分を害さないように、でもキレは鈍くなってなくて。
キーボードに飲み物こぼしたらパソコン壊れるとかいうクラシカルなPCジョークには全年齢全人種対応型の高度に記号化され抽象化されたアメリカン・アクション・コメディの様式美すら感じ。
なんかあんま上を目指そうとしない程よく力の抜けた作りが心地よい。
エイミー・ライアンがドウェイン・ジョンソンを追うCIAの人。中傷のない抽象の映画に合う中性的な風貌。感情を表に出さない仕事人間のほんの少しのエキセントリックが薬味のような笑い。スタンガンの一件は破壊力が高かった。
アクションシーンは適度にあるがドウェイン・ジョンソンの肉体アクションは控えめで、通して見ればアクションていうかアクション要素もある『大災難 P.T.A』みたいな感じだったかもしれない。
結構、場面場面の変キャラが印象が強い。飛行場の人とか。
いじめから始まる映画ということは筋肉CIA局員になってもまだいじめの過去に囚われていたドウェイン・ジョンソンがいじめを克服しようとする話になるわけだ、が、それがすごい。
ドウェイン・ジョンソンも弱かった。ドウェイン・ジョンソンでも怖いものはある。でもドウェイン・ジョンソンは乗り越えた。君たちもきっと乗り越えられると力強くメッセージするわけだがそのシチュエーションめっちゃバカ。
このバカには崇高を感じざるを得ない。感動的なハートウォーム・バカ。
【ママー!これ買ってー!】
『PLANES, TRAINS & AUTOMOBILES』っていう原題がずっと疑問。なんでジョン・ヒューズのコメディ映画なのにクラフトワークのアルバムみたいなタイトルなんだろう。