『桐島、部活やめるってよ』から見る『エキストランド』(崩壊感想文)

《推定睡眠時間:0分》

前野朋哉というと『桐島、部活やめるってよ』で映画部部長・神木隆之介の右腕的存在だった人として脳に刻まれておりその付帯記憶として『桐島』DVDの特典映像に入っていたキャスト・コメンタリーで神木くんか落合モトキが吉田大八が前野朋哉のこと褒めてたエピソードを話していた、というものがある。
映画終盤の一場面、神木くんと吹奏楽部の大後寿々花が火花を散らすがその二人の間、構図的には画面左手前に神木くん右手前に大後さんで真ん中奥に前野朋哉という感じだったと思うが、物語的にも演技的にも張りつめた空気の中でただただ一時停止状態で突っ立っている前野朋哉(演じる映画部員)の表情めっちゃ絶妙じゃんと吉田大八がお気に入ったという。

画面の間を埋めるという意味でも満たされた画面に穴を穿つという意味でも前野朋哉の間隙力というものは『エキストランド』でも遺憾なく発揮されていたので地域振興のため安易にフィルムコミッションを立ち上げた過疎り自治体が芸プロの偉い人に唆されいわゆる柳下案件シネマを手掛ける羽目になった業界の地縛霊的プロデューサーにえらい目に遭わされる寸分たりとも笑えない戦慄のボディクラッシュコメディが『エキストランド』だったがその地方フィルムコミッションの担当者がたったひとり前野朋哉、てなったらそれはもう前野朋哉の間隙力が自由な想像を呼び込むので『桐島』非公式スピンオフにしか見えない。

高校を卒業して神木くんとは進路が別になっていつの間にか映画の夢を追うことはやめてしまった。神木くんとの友情も自主映画にかける情熱も別に嘘ではなかったが、それはあの時あの場所だったから成り立った一種特別な状態で、時が過ぎればあれほど神木くんの映画を信じたこともあれほど世界を恐れていたことも全てが悪い冗談のようだ。
結局、目的がなければどこかに向かう必要もない。格好は付かないが地元の役場職員も悪い選択ではなかった。身の丈に合った平穏な暮らしは、むしろ、あの息苦しい高校ヒエラルキーの片隅でひっそりと息を潜めるようにして生きていた神木くんや映画部の面々が渇望していたものではなかったか。

かくして現在に至る前野朋哉であったがその平穏を映画の魔が切り裂いた。曖昧なフローで漠然と「やること」だけは決まったが、何をやるかは真剣に検討されることも関心を集めることさえない、ただ「やること」だけが重要な実績作りパファーマンスとしてのフィルムコミッションであった。
貧乏くじを引いたのは前野朋哉だったが、それは地方行政の現実から見ればという話で、地方フィルムコミッションを活用して撮影された大作アクション映画の記者会見に臨席した前野朋哉の目には貧乏くじが『ラスト・アクション・ヒーロー』のゴールデンチケットにさえ見えたのだった。

おそらくは高校時代以上の熱意で映画に取り組むFC前野朋哉の第一回担当作品が『フリーター、家を建てる』、芸プロ社長がお戯れに書きなすったゴミ脚本をやらかし干されプロデューサー吉沢悠が次回作に繋げるための接待と割り切って引き受けた、予算もなければ人もない、そもそも公開も回収もなにも想定してない「やること」だけが重要なあからさまな地雷案件だったが、構わなかった。
なにがなんでも監督の実績が欲しかったところを吉沢悠につけ込まれて招集され、仕事と割り切ればいいがカメラの前ではそうドライになることも出来ずに苦悩する若手監督の戸次重幸が映画倫理と監督実利の狭間で怒りを爆発させる芸プロのゴミ脚本を、前野朋哉は良い作品だと言う。
それ以上は何も言わないが、『桐島』スピンオフとして見るなら言わなくとも分かる。前野朋哉が神木くんと撮っていた映画とはまさしくこんな馬鹿げた、しかし神妙な馬鹿げた映画だったからだ。一行一行噛みしめるようにゴミ脚本を読みふける前野朋哉の背中は、重い。

本当は知っている。吉沢悠の傍若無人無理難題、宴会費をFCに持たせる、末端スタッフをFCに供与させる、撮影後の現状復帰をFCにやらせる、オープンセットを作らせるなどなど、吉沢悠がFCの仕事としてマニュアルまででっち上げて提示したことが普通はありえないと前野朋哉は知っているが、唯々諾々と従った。
どんなに馬鹿げていても商業映画だった。あの頃の夢をもう二度と失いたくはない。地元ボランティアとして半ば遊びで現場に入った友人のはんにゃ金田が次第に映画作りに憑かれていく様に、神木くんの姿を重ね合わせたりもしたのかもしれない。
いや、前野朋哉は重ね合わせただろう。確かに重ね合わせた。妄想だとしてももうそうとしか見えない。準主役で台詞が少ないわけでもないにも関わらず前野朋哉が心情を吐露したり過去を語ったりする場面が皆無なので、その余白には『桐島』をつい書き込んでしまうというのは先に述べた通りだからしょうがない。しょうがないんだよ!

新規地方フィルムコミッションに注意を促す啓発ビデオ的なというか啓発ビデオそのものなのではないかみたいな戯画っぷりが好かないがエンドロールにズラァと並ぶ協力フィルムコミッションを見ると戯画が念写画に変貌し好きとか好きじゃないとか言っていられなくなり怨念がこわい。
中央のバカに良いように使われてるだけなのに選ばれたと思い込んで勝手に盛り上がっちゃって地域に分断を生み出していく地元有志スタッフの姿もこわい。映画だけの話じゃないよなブラック企業のボジティブ社畜とか政治扇動家のネット応援団とかもこれだよな。あぁこわい。

『桐島』のネガとしての『エキストランド』は劇中映画撮影の顛末も『桐島』と呼応するので単体では痛快な前野朋哉の大反撃も『桐島』史観ではガラリ一転、こんな気の滅入るような悲惨な続編作るなよと反語的な意味で言いたいが『桐島』がそもそも気の滅入るような映画であったうえだから続編じゃねぇっつってるだろ。
いや、でも、この内容だと『盗聴 カンバセーション』に対しての『エネミー・オブ・アメリカ』ぐらいな二次創作意識は作り手に絶対あったと思うんだけどなぁ…剣道部の部室を間借りしたオタクどもの避難所こそエキストランド、映画の最後で前野朋哉と吉沢悠の心中にあったのはこんな台詞だったに違いない。「戦おう、僕達はこの世界で生きていかなければならないのだから」(©前田涼也)

【ママー!これ買ってー!】


桐島、部活やめるってよ

いろいろ育った(東出昌大を筆頭に)

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