《推定ながら見時間:全6エピソード中120分》
アウシュビッツにガス室なんてなかったんだ論者の理論的支柱フレッド・ロイヒターに取材したドキュメンタリー映画『死神博士の栄光と没落』のエロール・モリスが監督で、ちょうど今読んでいた『否定と肯定』(→否定も肯定もできない『否定と肯定』(ネタバレ乱舞注意)の原作本にその『死神博士の栄光と没落』を撮り上げたばかりのエロール・モリスが出てくる。
(映画のラフカットを見ながら)モリスは自分の編集の才に気を良くしたのか、笑い声をあげた。彼の映画作りの鍵となる三つの要素をロイヒターが備えているというのだ。“悲しさ、残酷味、滑稽味”の三つ。わたしは悲しさと残酷味には同意した。
デボラ・E・リップシュタット『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い』
デヴィッド・アーヴィングとの法廷対決を控える著者のデボラ・リップシュタットをモリスは試写に誘ったらしい。
ガス室否定論は裁判の争点にも直接絡むところであるから興味を示すだろうと考えたらしいが、裁判前で神経を尖らせていたのも影響してか、映画とモリスに対するリップシュタットの評価は手厳しいものだった。
フィルムが終わると、モリスが期待に満ちた顔をわたしに向けた。わたしは思わず無遠慮に言ってしまった。「厄介な映画ね。はっきり言って危険だわ。映画を見た人はあなたがロイヒターの意見を支持していると思うかもしれない」モリスの目が暗くなった。
これはまだ言葉を選んでいる方で、その後には「アメリカでもっとも才能あるドキュメンタリー監督のひとりが、無意識とはいえ、アーヴィングの主張に力を貸している」とまで書いているから、アーヴィングを「盲目的ヒトラー信者」で「ヒトラー遺産の継承者をもって自認しているふしもある」と評して当人に名誉毀損の訴えを起こされたリップシュタットとしては事実上ボロカスである。
リップシュタットが問題視したのはモリスの作劇で、基本的にはナレーションとか説明とかなし。なにか一つの考えに囚われた妄執の人を被写体にして、そのインタビューを淡々と流しながら映像をコラージュしていく。
モリスが『アクト・オブ・キリング』および『ルック・オブ・サイレンス』の製作に名を連ねているというのはなんとも納得だがー、まぁそういう作りは映画的には面白いかもしれないが、ロイヒターのガス室否定論がいかに杜撰な偽説であるか映画内でちゃんと詳しく説明すべきとリップシュタット教授は言う。
それをやらないのは無責任ではないかと。そうなるとまた、表現の自由とはなんぞやみたいな話になって難しくなるのでうーんと考え込んでしまうエピソードであった。
で『ワームウッド -苦悩-』も作り的にはそういう感じで、リップシュタットのケースとはまた違うのですが、これはこれで作家倫理のグレーゾーンに片足突っ込んでるようなところがあった。
死神博士に比べれば今回の題材は表面的には穏当。創作者のネタ元的な意味でCIA史に輝く怪プロジェクトMKウルトラに携わったのち、謎の転落死を遂げた科学者フランク・オルソンの遺族に取材したCIA陰謀もの。
真相究明に執念を燃やす息子の人のインタビューとフランク・オルソンの死の直前を描いた再現ドラマを織り交ぜた全6エピソードの大長編ドキュメンタリーだったがこの再現ドラマというのがつまりはグレーゾーン。
便宜上再現ドラマと書いてはいるが具体的な証言に基づいたものというよりもこれは息子の人の考える父殺害のシナリオの映像化なのだった。
作り込みがすごい。これだけ切り離して一本のノワール系ドラマシリーズとしても充分に成立するクオリティ。イメージとして完成されているから死の真相にたいへん説得力が出てしまう、少なくとも感情は誘導されてしまうわけですがー。
こういうのをインタビューに混ぜてくる、っていうかインタビューとフィクション的ドラマパートがこれは半々ぐらいの配分になっているからドキュメンタリーとフィクションのボーダーライン上にあるような作品。
たぶんエロール・モリスという人はドキュメンタリーの形式にはあんまり拘りがなくて、撮影素材を基にいかに面白い映像を作れるかっていうのが関心のあるところなんだろうなぁとその危うさも含めて思わされるわけである。
端的に言えば、すごくお金と技術と時間と手間とセンスとリサーチのかかった渡辺文樹映画。
まぁでも危ういものは面白いからな。これ面白かったですよ。リップシュタットも指摘してたが編集の妙ね。6エピソード5時間程度もあったらもうやりたい放題で、件のフィクション的再現ドラマパートと息子氏のインタビューの該当部分をわざと別エピソードにズラしてたりする。しかも極めて断片的だから最初ぜんぜんわけがわからない。本筋は単純なんだけど入り組んだ構成はかなり難解。
これがインタビューを聞いてるうちに段々とパズル感覚でわかってくる面白さっていうのもあるし、その過程で何度も同じシーンが反復したり断片映像がフラッシュバックするの、洗脳的快感ある。
引用されたニュースフィルムとか映画フィルムとか遺族のプライベートフィルムは新聞記事や写真の激しいコラージュに埋もれて主張の強いタイポグラフィに押しつぶされてしまう。
スプリットスクリーンでインタビュー画面を16分割! 息子氏の「殺されたんです!」が16回分とは言わないが反響する。殺されたんです! 殺されたんです! 殺されたんです! ころさ…。
かような幻惑的洗脳作劇が選択されたのはモノがMKウルトラだからだが、真相究明に何十年も費やした息子氏を主役に据えたドキュメンタリーとしてデリカシーなさすぎるだろ。そのへんも渡辺文樹系を地で行く。
だが一方でコラージュというのはコラージュ・セラピーを研究していた息子氏に即した手法でもあった、というのがエピソード3ぐらいからわかってくることでもあり、そうするとまた微妙にドラマ全体の印象も方向を変える。
何の話かといえばこれはやはり息子氏の話だったようにおもう。CIAに翻弄されてホワイトハウスに懐柔されてジャーナリストに唆されて数十年、依然として死の真相の分からぬまま関係者は皆手を引いたか、鬼籍に入ってしまった。
血の滲むような独自調査によって状況証拠は数限りないが、もはや直接事件または事故に携わった人間はいない。
エピソード1の冒頭、フィクション的再現ドラマでフランク・オルソンがホテルの一室から飛び降りる/または突き落とされる/または薬物により飛び降りるよう指示される/または事故的に単に落ちるのだが、その瞬間スローモーションになってしまってフライング・オルソンは一向に着地してくれない。
息子氏がそう考えているかどうかは知らないが、これがエロール・モリスの見た息子氏の心象風景なんだろうな。五里霧中。父の亡霊に苛まれ。
ニガヨモギ=ワームウッドのタイトルは死の直前にオルソンが見ていた『ハムレット』の映画(うろ覚え)から採られたものだった。
余談ながらこのフランク・オルソン転落シーンは映画版『ウォッチメン』冒頭でのコメディアン殺害シーンと酷似しているのでちょっと見比べてほしいよね両方参照できる環境にある人は。
よく似てる、道具立てとかも。ボクシング中継、オールディーズ、転落先に落ちた止まった時計…これは『ウォッチメン』だとスマイルマークのピンバッジとかになるが。
【ママー!これ買ってー!】
フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 (字幕版)
日本語字幕で見れるエロール・モリスの映画、今はこれぐらいしかないっぽい。