※これは『狩人の夜』のトレーラー
《推定睡眠時間:3分》
西部劇という以外に事前情報ゼロの状態で見ながらパク・チャヌクの新作かなぁ? と思っていた。途中からは新作だなぁ、に変わる。昨年『お嬢さん』をやったばかりなのにもう新作。仕事が早いなパク・チャヌク。しかも掛け値無しに超おもしろいじゃないか。
『お嬢さん』で切り開いた新境地とテーマを発展させて、今度は西部劇のフォーマットで初期のリベンジ三部作を凌駕する容赦ない地獄絵図ときたよ。
グラン・ギニョル趣味のノワール西部劇、変態ばかりの登場人物、受難の女の復讐劇、パク・チャヌクだ。
アーティストというよりは批評家タイプのパク・チャヌクの映画には原作ものと翻案ものがやたら多い。この人の映画作りの主眼はどのような作品を形作るかということよりもむしろ、翻案や翻訳を含むテキストの読み直しの行為そのものに、その結果として生成される別種のテキストそのものに、また、あるテキストが別種のテキストに変換される環境そのものにあるのではないか…という風に思っているのですが、なんの話かというとこれは明らかに古典カルトノワール『狩人の夜』の語り直し。
ガイ・ピアース演じる変態牧師がダコタ・ファニング演じる口のきけない女を付け狙うストーリーなので変態牧師といえば『狩人の夜』の変態殺人牧師ロバート・ミッチャム、いやその連想は安直すぎませんかと一笑に付そうとしたが一章の時点で(※章立てされている)変態牧師と無垢な少女の不穏極まる賛美歌二重奏がぶっ込まれこれはあれだろ『狩人の夜』のクライマックスで母なるリリアン・ギッシュとロバート・ミッチャムがやってたやつでしょうがッ!
その他、おもに一章と四章に集中しているが『狩人の夜』再現シーン再現セリフが部分的オマージュに留まらぬ分量で投入されておりほぼほぼ勝手にリメイクといってよいと思われるが、そうかーパク・チャヌク、『オールドボーイ』では『愛のメモリー』のオマージュのようなことをやっていたというかDVDオーディオコメンタリーで言っていたが、今度は『狩人の夜』の批評的再構築かー、さすがパク・チャヌクだなー。本当にノワールとか残酷とかエロとか倒錯とか好きなんだなー。
とまぁそういう感じで見ていて『狩人の夜』の現代的解釈のおもしろさと鋭さにたいへんな衝撃を受けたわけですが最大の衝撃はエンドロールで判明した監督:マルティン・コールホーヴェンでしたね。
誰ッ!? でもホーヴェンとかいってるからポール・ヴァーホーヴェンみたいに絶対エログロとか大好きな人だ…そういう映画だったし。
それにしても毀誉褒貶賛否両論。それはそうだ、最近はあまり言わないと思うが一昔前なら残酷ポルノとか呼ばれたに違いないタイプの実に酷い映画であったから。
グラインドハウス処理というか、エフェクトでふるいフィルム映画風に映像を加工して30分ぐらい時間短縮したら好事家おおよろこび批評家おおいかり系の悪趣味マカロニウェスタンって感じ。
舌とか切るし大腸とか引っ張り出すし顔面は溶けるし拷問口輪使うし動物もおんなもこどももみんな殺す。殺しの手段およびシチュエーションにおざなりなところは一片もない、こんな風に死にたくないなぁの連続で、しかも絶対にすぐには息絶えさせずにひたすら苦しませる酷薄演出。ルチオ・フルチか。
それは確かに俺はフルチが大好きだけれども、誰もがフルチの残酷と不人情と諦観を称賛したら嫌ですよそれは…。
描写も酷けりゃストーリーも酷いので突き詰めればダコタ・ファニング含む別になにか悪いことをしたわけでもない女の人たちが神と法の名の下で男どもに死体以下のゲロカスに扱われるだけの話だから菊池成孔考案かどうかは知りませんがハラスメント映画の蔑称も加わる。
女の人が苦痛に喘ぐ場面ばっか繋いでジャンキーXLのなんか『ひまわり』みたいな大河感のある音楽で泣かせるわけだからわざわざ変な横文字を使うまでも無く一言、俗悪である。
ところがその俗悪世界は奇妙なまでに清潔なのだ。手抜きではないかと思ってしまったぐらい。登場人物の衣装がみんな綺麗でいつだってどこだって汚れひとつ皺ひとつない。
まぁどこだって、は過言だとしても綺麗で作り物めいた印象は常に付きまとう。調度品は凹みも欠けもない。内装も整い過ぎているが外から俯瞰した建物はあまりにも現実感がなくてドールハウスにしか見えない。
その中で日々行われているソドム的蛮行に反して童話の挿絵のような牧歌的な絵面。あるいはアンドリュー・ワイエスの絵画のような非現実感がある。これはいったいなんだろう。
っていうところで童話とノワールと大恐慌時代の悲惨な現実が奇跡のゲテモノドッキングを果たしてしまった『狩人の夜』に帰ってくる。
まぁベースになっているのは『狩人の夜』だとしてもどこまでその語り直しを意図したのかはわからない。わからないが、この俗悪趣味と童話ムードの強烈な不協和からいって『狩人の夜』の最良の非公式リメイクに結果的になってんじゃないかとおもった。
超こわいが思わぬところで不穏な笑いを誘ったりもする変態牧師ガイ・ピアースの極端にデフォルメされた薄っぺらいキャラクターも歪な童話世界を強調するが、そうした諸々のペラさ嘘くささがパク・チャヌクの読みの巧さだなぁといやパク・チャヌク関係なかったから風評称賛なんですけど見ながら思ったことで、『狩人の夜』は母なるリリアン・ギッシュが恵まれないこどもたちに童話を読み聞かせる場面で始まって終わっていたが、なによりそこをフェミニズム的な観点からピックアップしてるっぽいのがこんな糞みたいに悪趣味な『ブリムストーン』の美点だった。
つまりはことばと語りの寓話。変態牧師ガイ・ピアースは神のことばとして自分のことばを語ろうとするし、ことばを奪われたダコタ・ファニングは他者のことばで語ろうとする。
ことばを奪われた人間が他者の声で物語ることについての寓話。その恐怖と希望が誰かのことばで語られた寓話としての映画だから嘘くさい絵作りになってるように俺には見えた。
こういう方法でことばを奪うものに抵抗する西部劇なんて早々ないし英語の映画ではあんまり見るイメージがない。ことばをその話者のパーソナリティの一部として語り手の専有物にするっていうの、自由意志など絡むのかどうかは知らないが欧米に根強い考え方だと思うので。
だから仮にそれを、半ばリメイク的に『狩人の夜』を通してやろうとしたのならまったく大したシロモノだ。まぁそうでなかったとしてもたいへんな野心作には違いないし、『狩人の夜』の公式リメイクなんてものがいつの日か企画されたとしてもこんな凝った映画にはならないんでは。とてもよい。今の気分で満点。
ちなみに散々チャヌクチャヌク言ってるのは自分のことばの略奪と他者のことばで物語ることがチャヌクの去年の作『お嬢さん』の主題だったからで、いやほんとにパク・チャヌクっぽい映画だと思いますね映画オマージュの入れ方とか含めてさ…。
【ママー!これ買ってー!】
パッと浮かんだ二本はやはりことばを奪われた人の映画で、変態牧師に狙われたこどもが大人たちにことばを信じてもらえないのが『狩人の夜』だし、ことばを知らないオオカミ女を変態家長が捕獲・監禁・性奴隷にしつつことばを教え込もうとするのが『ザ・ウーマン』なのだった。
胸糞いがどちらも後味爽やかです。
↓その他のヤツ