ふわふわ難民映画『ジュピターズ・ムーン』の感想

《推定睡眠時間:0分》

昨日見た『羊の木』で気に入らなかったのは元受刑者の過去を知った住民たちの紋切り型の反応で、確かに殺人は重い罪ではあろうけれども一人二人を除いてどいつもこいつも言葉を失い顔面蒼白ってのはいくらなんでも無いだろう。そんなに面白い反応は無いだろう。みんなに無いかどうかは知らないけど俺の感覚ではない。
職場の新入りが仮釈中の元殺人犯と聞いたらそれは少しは距離を置くようになるかもしれないが、面と向かって拒絶の意を表すシチュエーションは想像できない。

幸いにもというべきか殺人犯の知り合いこそいないがラブホ清掃をしていた頃の同僚が暴行恐喝器物損壊等々で前科何犯という人で、仕事中に本人からそう言われた時の俺の返事は「マジっすか」あるいは「そうなんすか」のどちらかだった。
だって他に言うことがない。言うことがないし考えることもない。いきなり前科ありますと言われたところで即座に加害の想像が立ち上がるほど柔軟な脳は持ってない。「マジっすか」あるいは「そうなんすか」のほかにむしろどう反応できるというのか…それから、お互い普通に仕事を続けるわけである。

『ジュピターズ・ムーン』が俺には合わなかったのもそのへんがおおきい。何故かどうしてか致命的銃撃を受けた結果スタンド的に不死身&空中浮遊の能力を身に着けてしまったシリア難民の青年を見てハンガリーの人たち超びっくり、浮遊の奇跡に言葉を失い各々神を投影したり悪魔を見たりする。
寓話であるというのはわかるが、わかるが、わかるがしかし…ちょっと想像力の備わった人ばかり出すぎではないの。その反応は面白すぎて逆に面白くないのではないの。

人のことはわかりませんからこういうのは自分に置き換えて考えるしかない。渋谷か新宿を歩いていたら道に人だかりが出来ていて、なんだろうと目を凝らすと人が浮遊している。浮遊か。へぇ。浮遊か。
俺が渋谷か新宿に行くときというのは映画を見るか美術館に行くときなので、それはそれとして人だかりを通過して映画館なり美術館に直行すると思う。早くしないと上映始まっちゃう。
その途中でスマホを取り出して、お行儀が悪いが歩きながらきっとこうツイートする。「さっき新宿で人浮いてた」。できれば画像付きで。

なにも別につまらないリアルを映画に求めているわけではないけれども、奇跡が奇跡であるためには一度リアルに貶められる必要がやはりあるんじゃないだろうか…奇跡ではないとされた行為がそれ以上の輝きを帯びて再び立ち現れるからこそ人はそこに奇跡を見るのではないの。
鈍い想像を続けてみる。映画が終わってさっき人が浮遊していた通りに来てみると、人だかりも浮遊していた人も消えている。大道芸かなんかだったんだろうと適当に自分を納得させてラーメン屋に入る。そこで、さっきの浮遊人が普通に座ってラーメンをすすってる。

それが奇跡かどうかは知らないが俺だったらたぶん、その光景の方に奇妙な何かを感じてこころがかき乱されると思うのである。

つまりはフリとかケレンのない緩急を欠いたストーリーテリングが俺の目にはつまらなく映ったのだがこれはこの監督の前のやつ、『ホワイト・ゴッド』という犬暴走パニック映画でも感じたことで、そちらでは犬軍団が市街地を占拠する場面のパニック感とか人々の反応みたいなのがほとんど描写されない、重要なのは犬軍団が蜂起して人間どもを街から追い払ったという「奇跡」だけであると言わんばかりなのだった。

手持ちカメラの長回しが特徴的な映画で、要所要所に配置された長い長い長回し追跡&逃走シークエンスは疾走感いっぱい浮遊感いっぱい、『トゥモローワールド』直系という感じもするがとにかく自由な奔放カメラワークは『ハードコア』の対抗馬(公開だいぶズレてますが…)。
ゲーム的で超たのしいけど、でも楽しいと好きはイコールじゃないからな。手持ちだからだと思うよ。手持ちカメラの主観性というか、観客とカメラの目を一致させた上での疑似主観性の長回しが、たぶん嫌。

フィックスやゆったりした移動撮影の長回しは場を撮るもので、シーンの後景とか画面の中に映るモノの変化を記録しようとしますけど、手持ちカメラの荒々しい移動長回しは動くモノと情勢の変化みたいのを記録する。
これは動かないモノの変化を撮る事と変化しないモノの動きを撮る事と言い換えられるんじゃないか。という風に考えていてなにか腑に落ちたのはたぶんこれはそういう風に作られた映画なんじゃないすかね。

奇跡の人、奇跡の人を救おうとする人、奇跡の人を殺そうとする人、奇跡の人に救われる人、奇跡の人を蔑む人、という役割がタブローみたいにあるいはゲームみたいに予め決定されていて、各々の登場人物はその役割に従って激しく動き回るが、役割の外には決して出たりしない。
ちょっと典型的すぎてパロディっぽくないですか。冒頭の国境警備隊と難民の決死の長回しチェイスとか素直にすげーって手に汗握るが常に寄り気味のカメラを頭の中で一歩引かせてみると、急に段取り臭くなってコントみたいになりませんか。

そんな事態を防ぐために、観客に客観視させる余裕を与えないために手持ちカメラの疑似主観性と臨場感が必要とされたんじゃないかと邪推すれば、つまんないことをするなぁって感じだ。
医療過誤で患者を殺した悩める医師と父を探す難民青年が浮遊の奇跡をネタに訪問営業、なんてフェリーニ映画みたいな魅惑の展開がいやに精彩を欠くのはたぶんクソ真面目が過ぎるから。
「奇跡」がインチキだと笑われるのを恐れてゴテゴテに奇跡賛美で固めちゃったら逆に奇跡にありがたみがなくなっちゃった、ていうのが俺にとっての『ジュピターズ・ムーン』でしたね。

【ママー!これ買ってー!】


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『サイレントヒル』初代ディレクターで『サイレン』シリーズの生みの親、外山圭一郎の重力ゲーです。

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