《推定睡眠時間:0分》
『そっちやないこっちや コミュニティ・ケアーへの道』(柳沢寿男監督特集)とか『ロープ 戦場の生命線』とか、ここ最近こういう映画ばかり観ている気がするがこういう映画というのは諸々の外的要因によって過酷な状況に追いやられた人たちが自ら死んだ生活に活力を吹き込んでいこうとする映画のことで、『ぼくの名前はズッキーニ』もそんなようなお話だった。
屋根裏部屋でザ・ネグレクトな日々を送っていた顔色の悪い少年ズッキーニくんがひょんでは済まないひょんな事からいざ児童養護施設へ。たぶんはじめてのキッズ仲間にはなんかヤンキーみたいなやつがいる。怖いことを思い出すとカタカタカタカタとテーブルを叩く常同行動女子もいる。無理無理。ここで暮らすのとか無理です。はやくおうちに帰りたい(でも帰るおうちはもうない)。
ところが案外やっていけるもので、なんとなくお互いの距離を探りながらなんとなく一緒に生活していたらなんとなく楽しくなってきちゃった。その日の気分をみんなに知らせるご機嫌メーターみたいな細かい工夫はあったりするが、こども人権先進国のフランスらしくこの施設は基本こどもフリーの運営方針。まぁ人が死なない範囲でいたずらとかは自由にさせてやる。猥談でもなんでも好きにやってくれ。
叱らない指図しない過度に介入しない。こどもを育てるのもこどもを救うのもこどもたち自身の力で十分できること。こどもたちを信じて見守ってやりましょうというわけで実に涙腺がズッキーニするお話なんだがいやこれなこういうのな本当に必要だとおもうよな。
俺は結婚もしてないし子どももいないけど過保護な家庭で育ったからな。それはまぁ一般化はできませんが俺の場合は親とか教師の過干渉でわりと同世代の人間関係が築きにくかったり自分で自分を守りにくいところはあったよ多少は。
ややセンシティブな話題なので俺の場合は、というのは強調しておきたいが、たとえば学校で俺が何か問題起こすとすぐ学級会議ならぬ学級裁判になったりしてたわけ。それでそのときの被告はいつも俺じゃなくて俺にちょっかい出したり喧嘩した人なわけ。俺はその学級裁判で怒られた記憶っていうのは基本的にない。
そうするとどうなるかっていうと、怒られた奴より(かどうかは知らないが)俺の方が嫌になってくるんだ。子どもだってバカじゃないしね。自尊心だってあるわけじゃん。でもそういやっていつも俺の意見無視で学級裁判になる。俺が可哀想な奴っていうことになる。自尊心めっちゃ凹みますよこれは。
「○○がどんな気持ちか考えたことがあるのか!」とかいつも怒鳴るんだよ教師が。でも俺の率直な気持ちはいやいやそんな大事じゃねぇないからっていう、マジ余計なことしないでくれっていうそういう感じだよね。
いや俺の場合はですよ。そういう介入が必要な人もいるっていうのもわかってますから。
ていう感じの子ども時代だったから見ながら羨ましかったですよ、なんか。各々色々な問題を抱えてんだけどこいつらはまぁ放っておいても大丈夫だろうと周囲の大人に思われてるわけじゃないですか、ズッキーニくんたちは。
あぁ信頼されてるんだと。受け入れられてるんだと。こういう環境で育ってたらどんな自分になってたか、と感傷的な気分になっちゃったよ。俺は甘やかされてたけど誰にも信頼なんかされてなかったからな。
ズッキーニくんはネグレクト環境下の屋根裏部屋で色んなものを作って自分で遊びを見つけていく。アル中の母親が投げ捨てたビール缶さえズッキーニくんのオモチャになる。
なんでも買ってもらって、買えないものは作ってもらって、自分で作ろうとしたものは両親がもっと上手く作り直してしまう俺の…もういいよその話は! 俺も大人ですからね! 甘い人生の苦い後味は一人で噛み締めるよ!
超好きなシーンがあって、ズッキーニくんたちがスキー合宿みたいのに行くんですけど、そこでアフマドくんとかなんとかいう孤児が知らない子どものスキーゴーグルをずっと見てる。かっこいいなぁ。ほしいなぁ。
そしたらその子の母親が現われて、この人がひどいんだけど人種違うからってアフマドくんを泥棒扱いするわけ。で子ども連れてっちゃう。がっくりうな垂れるアフマドくん。だがその手にはあのかっこいいゴーグルが。
ハッと顔を上げるとゴーグルの持ち主の子どもが母親に見えないようにアフマドくんにグーサインを送ってる。やるよ。ほしかったんだろ。頭の固い大人には見えない子どもたちの密かな紐帯の強さ。ガン泣きかよ。こんなのジョン・ウー映画じゃん…!
迷惑な暴れん坊だが暴れん坊なりに筋を通そうとする子どもヤンキーのシモンくんもジョン・ウー映画に出る資格十分だからこれは『マンハント』と競合するな…!
クレイアニメだがクレイアニメであることを見ていたら忘れてしまったのでクレイ技術がどうとか知らん。ズッキーニくんの不健康な表情とかは素晴らしかった。不健康が健康に変わらないまま内面が変わっていくのがまた良い。
【ママー!これ買ってー!】
これめっちゃ好きなんだよなニコラ・フィリベールの子どもドキュメンタリー。これもまぁ被写体が特殊なので一般化できるものではないのだろうけれども子ども自身の可能性とか子どもたちの横の繋がりを重視するフランスの子ども教育すげぇなってなる。