頭の中で何回反芻してもオープニングが完全に『ブレードランナー2049』なのでパクったとしか思えないのだが、IMDbによれば『2049』の初お披露目は2017年10月3日(アメリカ)、対して『ヒューマンハンター』は2017年12月1日(スウェーデン)なのでパクったのだとしたら逆に名誉。
どのような経緯でこうなったかは知らないが、仮に『2049』の完成を受けて急遽パクリ追撮が敢行されたとかだったらその仕事の早さに対して誰かしら何かしら賞的なやつをあげるべき。
ちゃんとニコラス・ケイジ呼んで撮っていたからなあの場面。パチモノなのに急遽の追撮で主演呼ぶとか偉くないすか。そうだとすれば。
予定外の追撮ではなく目ざとい業界人が『2049』インサイダー情報に基づいて計画的にパクった可能性もある。わりと、冒頭以外にも物語の根底の部分で似ていたりもした。そうだとしたら尚のこと偉いとしか言えない。
だって勝てるわけねぇじゃん。絶対勝てるわけないじゃんその勝負…2018年の今にもなって『ジョーズ』の代わりに『テンタクルズ』見る客とか居ないんだからパクったところで作品評価的にも興行的に得しないだろそれ…無謀すぎて偉いし企画した業界人の立場が危うくならないか心配だよ…。
何故。いったい何目的でわざわざニコラス・ケイジまで呼んでパクったというのか…もうパクった前提で書いてしまってるが、万一にもパクリではなく偶然似てしまっただけという可能性だってないわけではない。
だとしたら、凄い。天然でハリウッドの超巨大プロジェクトに迫ってしまっているじゃないか…いや、俺はあの冒頭に限定して言えば決して『2049』のそれに引けを取ってなかったと思いますよ。
すげぇ良いんですよあそこ。なんていう俳優さんか知らないすけど超インパクトな顔のジジィが…アーネスト・ボーグナインをプレスしてサイコロ状にしたような顔したジジィが出てくるんですけど…こいつが無職年金暮らしのつまり底辺。ヒューマンハンターのニコラス・ケイジはこいつを狩りに赤茶けたアリゾナ荒野をやってくる。
資料によれば圧縮ボーグナインが住むのは荒野に取り残された貧民アパート(モーテル)。ニコラス・ケイジがエントランスに足を踏み入れると暇を持て余した貧乏住民たちが死んだようにブラウン管テレビでアメフトかなんかを見てる。
未来設定だが、出てくる貧乏人は誰もネットなんか見ていないというのが変にリアル。
映画の設定はこうだった。時はそう遠くない未来。深刻な環境破壊や資源の枯渇が後押しする先行きの不安によってトランプ政権後のアメリカはますます孤立主義と独裁の度を深め、遂には国境に壁を建設してセルフ監獄と化してしまった。
外部との交渉を絶った余裕ゼロ世界では生産に寄与しない人間の存在など許されない。よって生活に伴う消費量が生産力を上回ってしまう底辺人間は国家のお荷物としてニコラス・ケイジらヒューマンハンターに捕捉、健全なる生産的人間として生まれ変わるべくニュー・エデンなる怪しさしか感じない謎特区送りとなるのであった。
ハンターといっても所詮は役所の下働きに過ぎないから年金回収委託業者みたいなもので、ニコラス・ケイジのお仕事は対象者のお宅に強制お邪魔して現財産とか生活状況とかを主に書類と面談で審査、社会貢献が見込めないと判断すればニュー・エデンに移送するというもの。
孤立死待ったなしの汚部屋と化した圧縮ボーグナインの住まいにはトランプと誇らしげに肩を並べる写真が飾られていたからこの人も昔は偉かった。だがニコケイの判断するところ、どうも偉かった圧縮ボーグナインもニュー・エデン行きを免れそうにない。
細かい文言は違うかもしれないが、この部屋の寝室の扉に貼られた星条旗ポスターには「Make America Great Again」なんぞと書かれていたはずである。
「昔はこんな国じゃなかった。この国は自由の国だったはずだ」。ニコラス・ケイジからエデン行きを告げられた圧縮ボーグナインはおもむろに散弾銃を手に取ると、扉の向こうで旅立ちの準備を待つニコラス・ケイジに向けて、扉に貼られた「Make America Great Again」に向けて、引き金を引く。
だがニコラス・ケイジはヒューマンハンターであった。刹那、眉間に穴が開いていたのは圧縮ボーグナインの方だ。アメリカを信じた圧縮ボーグナインのあまりにも呆気ない最期の抵抗であった。
…どうすかこれ。良くないすかこれ。俺はめっちゃ良かったんですよこのオープニングが! 良すぎてちょっとだけ触れるつもりがほらもうこんなに、1000字ぐらい冒頭の説明に費やしちゃった!
いや、言っておくけど本当に低予算だから後は『2049』と違って人の居ない森とか山とか廃工場とか田舎の農場とかでグダグダ会話してるだけみたいなシーンがずっと続くしですね、これなんか凄いんですけどニコラス・ケイジが所属する人民省のお偉方がトップシークレットな会談をするその場所がビルの駐車場みたいながらんどうの屋外っていう。
いやそれはせめて中入れよって思うんですけど秘密会談に相応しい感じのセットとかロケ地とか用意できなかったから逆転の発想でがらんどうの屋外、みたいなことなんですよね多分この場面…ていうそれぐらいの低予算映画だと思うんですけど!
でもとにかく冒頭のセンスの良さと作り手の本気に琴線ビンビン来たし、それでその後も基本的にはあんま面白いことはやらないんですけど全然悪くないっていうか、むしろヒューマニスティックで味わい深い良いSF映画だと思いましたね俺は。
なんか、金は無いし目新しいアイデアも無いんですけどディストピアSF映画として気合い入ってますよ。たとえつまんなくてもディストピア底辺生活を丁寧に見せるし、たった一回のみすぼらしいカークラッシュが輝いて見えたりするんですよ。貧乏予算だけどそれだけはどうしても撮りたかったんだろうなって感じで!
ところで冒頭が『2049』檄似問題について言えば、完成稿からはオミットされたオリジナル『ブレードランナー』初稿の冒頭がこれと殆ど同じ(レプリカントを狩りにデッカードが農場を訪れる)もので、その初稿を書いたのが『2049』でも脚本を担当したハンプトン・ファンチャーだから『2049』は実現しなかったアイデアの再利用と言えるが、『ヒューマン・ハンター』もこの初稿からアイデアを取ってきた可能性も無いとは言えない。
それぐらい、明らかに『ブレードランナー』を意識してんである。それはもうあからさまに意識してんである。ニュー・エデンへの移住を勧めるビルボードや放送音声は『ブレードランナー』の広告船を思わせるし、圧縮ボーグナインがトランプと写った写真が時代背景を考えれば合わないが白黒というのも『ブレードランナー』でデッカードの部屋にある写真が白黒であったことのオマージュだろうし、いやそんなものでは済まずに社会のお荷物とされた存在をハントしていくブレードランナー的役回りのニコラス・ケイジが職務に反して逃がしてしまうハント対象者の名前はレイチェルというぐらいなんである…。
どう考えても予算と釣り合ってない剥き出しの『ブレードランナー』愛にはグっとくるが、『ブレードランナー』に限らずディストピア系SF映画オマージュと思しき場面が随所にある。
『ニューヨーク1997』もあれば『リベリオン』もある。『2300年未来への旅』もあれば『赤ちゃんよ永遠に』のようなところも一作目『マッドマックス』のようなところもあって…ニュー・エデンなんてネーミングに至ってはオマージュを超えて半分ネタバレになってる感すらあるからこれは小洒落たオマージュじゃないよな本気のオマージュだよな…ってことでまた琴線が。
それが映画の面白さに繋がっているかどうかは俺には判断できないが…。
面白さの判断はできないが好き嫌いの判断は好き一択で、冒頭の圧縮ボーグナインを始めとして本当にホワイト・トラッシュっぽいイイ顔を揃えてきているのが素晴らしいし(ガソリンスタンドのハイパーデブなんて最高)、なんか銃の描写には多少拘りがあるっぽいから冒頭で見せるニコラス・ケイジの腕の跳ね上がりに任せたオートマチック三段撃ちとかやたらと格好いい。予算の都合上派手な銃撃戦なんかは出てこないが重い銃声には迫力があった。
映画の最後の方になってくると恐らくきっとたぶん脚本に書かれてはいるが予算的に無理だろ的なシーンを引用したニュース映像で強引に代用していたと思うので本当にマジで安い映画だと思うが、でもこの貧乏感は貧困を描くディストピア映画にとって最良の演出効果になっていたんじゃないかと思ったよな。
(金がないから)パっと一瞬で散るカークラッシュと銃撃戦の粋。(金がないから)シリアスなのに妙に愛嬌のある悪役のおもしろさ。(金がないから)ニコラス・ケイジが中西部から北西部へと延々車を走らせるだけの予算的にエコな画作りに宿る風景の豊かさと詩情。
この映画の存在自体が金が無い人間には価値がないっていうディストピア価値観に対する明確な反論になっているのだからたいへん立派だ。
良い映画でしたね。これからどうせ五本ぐらい公開される今年のニコラス・ケイジ映画はキツイんじゃないかこれが基準になっちゃうと、っていうくらい。
※多少追記してます
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いつからそんな感じになったのかは知らないが気付けば貧困をテーマにしたジャンル映画の守護聖人になってしまった聖ニコラスの去年の貧困層救済映画です。傑作。
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凄くいい映画だなーと思ったのでアマプラで低評価なのがもったいないです。もっと評価されて欲しい。
誠実で人情味があって痛烈な社会風刺もある良い映画だと思うんですけどねぇ…ニコラス・ケイジ主演のSF映画っていうと超大作みたいのをイメージする人がまだ多そうなので、そのギャップが低評価に繋がってるのかもしれません。先入観も期待もなしで酒飲みながらなんとなく観たら思いがけず泣いちゃったみたいな、そういう類いの映画だと思うんですよ。