テイク・ユア・ピル スマートドラッグの真実[Netflix]
《推定ながら見時間:25分》
まずスマートドラッグという単語が聞き慣れない。脱法ハーブ的なものかと思ったがさにあらずで、このドキュメンタリー映画の中では主にアデロールの名称で販売されている注意欠陥/多動性障害・ADHD(ADD)の治療薬を指していたから、脱法どころか堂々たる合法薬(日本では未承認)。
ぜんぜんスマート感とか無い気がするが何故これがスマートドラッグかというとADHDの診断を受けていない人にもカジュアルに乱用されてしまっているからで、というのが映画の内容。
先回りして言ってしまうと、すげー危険な副作用で人死んだ! 裁判なった! とかそういう話じゃないです。じゃあ何でアデロール飲むの問題視するんすかね。
アデロールというのは商品名であるからカジュアルっぽいが要はアンフェタミンなので興奮剤。飲んだら脳がシャッキリして集中できるようになるからADHDの子でも課題に一貫して取り組めるようになったりして、学校生活に順応したり自分をコントロールすることの手助けになる。可能性がある。
本来医師の処方箋が必要な薬らしいがSNSなんかを介して超手軽に闇流通しているらしく、処方を受けていない人間でも簡単に手に入れられるというのは確かに問題で、入手方法は違法でも薬自体は合法だからと使う側も使用に抵抗がないのでそのへん闇。
だがそもそもどうしてそんな簡単に闇流通してしまうのかというのが問題の根深いところで、俺も鬱とか発達障害の診断を受けているのでジアゼパムだのストラテラだのじゃんじゃか処方してもらっていたが、この手のお薬はとにかく自己申告すりゃあ貰えるので処方ハードルがめちゃくちゃ低いというのは精神科とか心療内科の通院歴がある人ならご存じの通り。
実際、俺もじゃんじゃか貰いすぎて薬が余っちゃったのでネットで売れば小遣い稼ぎになるかなぁと考えていたぐらいだが(もちろんやってませんが)、そこから見えてくるのは第一には発達障害治療の薬物偏重の風潮で、その是非を考えていくと畢竟、社会構造の歪みに辿り着く。
ADHDの診断も受けていない学生たちが高額の学生ローンと就職難のプレッシャーからSNS入手したアデロールを飲みながら机に向かうような社会は果たして問題がないと言えるのか、ウォール街の金融アナリストが不眠不休で仕事をするために際限なくアデロールを投与し続ける社会とはなんなのか、という方向に行くわけでストレートな副作用や薬害の問題を扱うよりもアメリカ社会の根幹に関わるところを扱う分だけ、ハート蝕み度が高いのが『テイク・ユア・ピル』なのだった。
ところでですねクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』の冒頭、小学生時代の主人公の担任教師がお宅のお子さんADDだから投薬治療してはどうですかって主人公の母親に提案して、それで母親めっちゃ怒って主人公をミッションスクールに転校させちゃうっていう場面があるじゃないですか。
あれ見た時はその判断どうなのっていうのすげー思ったんですよ。そりゃ投薬っていうと悪いイメージもあるかもしれないけれども、思考がまとまらなかったりコミュニケーションが難しかったりして日常生活を送るのが大変なADDとかADHDの子どもっているわけだから、投薬だけじゃなくて投薬も含めて発達障害とちゃんと向き合った方が子どものためになるでしょうがっていう。
そういうのあったんですけど、でも『テイク・ユア・ピル』見るとなんで母親あんな怒ったかっていうのがちょっと分かってですね。
あれ母親が熱心なクリスチャンだからっていうのも理由としてはあるんでしょうけど、それだけじゃなくて何事も極端なアメリカだからADHDの概念だけが一人歩きしちゃったと。
だからアメリカのADHD捕捉率めちゃくちゃ高いし、なにかにつけて自分もADHDなんじゃないかみたいな不安とかもあったりする(これは日本でもそうだろう)。
それでそこに製薬会社が乗っかって、アデロール飲めば正常になるし成績上がりますよみたいなサプリメント的な感覚で大々的な販促キャンペーン張ってきたっていう、それは一概に否定できることでもないのだけれども、他方で治療薬と障害(と定義するならば)が歯車の両輪になって子どもたちの問題を解決するどころか富の収奪を含みながら肥大させてしまったような側面もあって。
あの母親とかあるいはそのエピソードを嫌悪感剥き出しで映像にしたイーストウッドにはそういう流れや構造に対する非常に強い不信感があったんだろうと、まぁそういうことがなんかわかった気がしましたね。
スマートドラッグの大流行ってなんなんだろうっていうと、まぁこの映画を見る限りはって意味ですけど結局そのへんにあって。
「金持ちはメタンフェタミンをやって貧乏人はアンフェタミンをやる。値段は違うが効用は大して変わらない」みたいな苦い発言が出てきて上手いこと言うなぁと思いましたけど、やっぱ経済格差がどうしても絡んでくる。
格差、それから標準化。均質なコミュニケーションとノーマルな人間関係から外れることを過度に恐れるアメリカンな不安と、ハイパーな経済的不均衡の狭間にADHDとスマートドラッグがあって、苛烈な競争社会の勝者となるべく貧乏人が効率を追求してスマートドラッグに手を出せば、その利益で潤うのは自分じゃなくて1%の大企業っていうこのジレンマ。
でもみんなやってるから止められない。競争社会ってそういうもんですよね。なんでもアメリカの学生の5人に1人はスマートドラッグを利用したことがあるとか(→スマートドラッグでぼくらの体と心に起きたこと──米大学生「5人に1人」の使用実態-WIRED)
まったく暗澹たるドキュメンタリーだ。なんか落ち込んだからドグマチールでも飲んで寝ます。
※多少書き直してます
【ママー!これ買ってー!】
フィリップ・K・ディック畢生の最強ハードドラッグ小説なので基本的に副作用はないスマートドラッグとは別世界の話に思えるが、ハードだろうがスマートだろうがアメリカのドラッグ搾取の構造は大して変わりはしないんであるということが笑いながら学べるのでむしろスマート派の人ほど読んだらいいんじゃないすか。