《推定睡眠時間:0分》
よくわからん。世代的に俺はこのトーニャ・ハーディングという人はまったく存じ上げないですしフィギュアスケートというのも関心が無色に近い薄さで…ていうかなんでみんなあんなフィギュアスケート好きなんですかね。
浅田真央さんとか羽生結弦さんとかみんな話題にするじゃないすか…いやなんか超絶技巧がすごいんだとか舞いの華やかさ(?)がすごいんだみたいな、そういう理屈は別にわからないでもないんですけど競技としてあれなんであんな掴みどころのないものが人気なんだろうっていう…単純な強い弱いじゃないしね、早い遅いとか点が入ったとかじゃないし。なんかよくわからんすわ。
だからかどうかは知りませんが映画も掴みどころのないというか冒頭に当時を振り返って的インタビューが入るのですがこれが実際に撮られた本人インタビューを各々の役者さんがパロディ的に再現するという捻くれたもので、ネッフリでこの前観た『意表をつくアホらしい作戦』という(絶対そのタイトル誰も観ねぇよ…)的な伝記映画が同趣向。
なんか、登場人物が観客に向けていちいち話しかけてきたりする第四の壁破りまっせみたいな。伝記なんだけど映し出される映像のどこまでがジョークでどこまでが保身のための嘘でどこまでが真実に近いものなのか全然わかんねぇなみたいな。
ちなみに『意表をつくアホらしい作戦』は『アニマルハウス』の生みの親ダグ・ジョーンズの半生を描いた映画でしたがダグ・ジョーンズも俺は全然知らないから全然知らない人のよくわからない伝記映画をよく観ますねさいきん。
ということでよくわからない『アイ,トーニャ』。結局襲撃事件の真相的なやつはわからないしそもそもなんでトーニャがまたはトーニャのママがフィギュアスケートを志したのかというのがわからないが、とりあえず目指してます的なところからお話は始まってしまうしそいつ絶対殴るじゃんみたいな髭トラッシュのジェフに一目惚れして付き合うことになるのはなんとなく貧困心情的にわかるのだが劇中でトーニャが言うようになんでそんなところ(=スケートリンク)に髭トラッシュ&肉トラッシュのコンビが居合わせたのかよくわからん。なにしてたのあいつら。
でもよくわからん人をわかったように描く不誠実というのもあるからな。潔くてよいのではないですか。常人の理解を超えるバカどものお話を変に解釈しないでそのまま描いたらなんかコメディ版『仁義の墓場』みたいになっちゃった。これは確かに大笑いな三十年ぐらいの馬鹿騒ぎって感じありますよ。
でも米国フィギュアスケート界にとっては石川力夫的ヤクネタなトーニャさんではあったが少なくとも映画の中では周りのバカどものせいでほぼ奈落の境地を余儀なくされながらもしかし奈落に落ちることを許されないまま氷上をツーツーと滑り続けていたのでこれは『実録・私設銀座警察』の汚ねぇ奴らに骨までしゃぶられた上に死ぬことさえ許されない憐れなるリビングデッド渡瀬恒彦が近いんじゃないか。
なぜ急に渡瀬兄弟を引き合いに出すのかと言われても思いついちゃったからとしか言えませんがともかく俺にはそんな風に見えたんだトーニャ・ハーディングが。
だからなんか格好良かったですよマーゴット・ロビーのトーニャ。ヒロイックな格好良さじゃなくて屈折した野良犬的な。ゴミ溜めでクソ食って生きながらいざという時に噛みついてやる力を蓄えている人のギラギラした格好良さ。
バカの矜持だ。鬼ママにマトモな教育を受けさせてもらえなかったからスケートバカになるしかなかった人の不撓不屈。嘘もつくけど(人間なので)嘘に嘘がない蓮っ葉。
ひじょうによいね。なんか本気で生きてる感あるもん。演技を終えて万雷の拍手を浴びるトーニャが浮かべるジョーカー的なおぞましスマイルにはゾゾーっとさせられましたがー、そういうところがつまりよい。
ありゃあ石川力夫が妻の骨食うみたいなもんですよ。本気で生きる人間はどっか壊れてる人なので狂気が噴出する瞬間てあるんですよ。
みんな適当に体面繕って生きてるわけじゃないすか。壊れないように狂気に陥らないように地雷踏まないように墓まで歩いてるわけじゃないすか。でもこの映画のトーニャは地雷原を裸足で突っ走ってたからな。極めて東映的な意味で憧れるよ俺みたいなヘタレの凡人は。
貧困から修羅と化した鬼ママによって渡瀬兄弟的怪物に成長したトーニャ。その演技を大喜びで消費しながら大喜びでバッシングもする無責任大衆、立ちはだかる教養と品格の壁。
それにしてもこの構図はどこかで見たなと思ったら相撲じゃん。日本で横綱になりゃあうんと稼げるぞ、の甘言で青田買いされたヤングモンゴル力士が相撲人気の拡大に大いに貢献するもいざ横綱に昇格すると品格バッシングを浴びるとか…トーニャ・ハーディングもフィギュアスケートも知りませんがなんか世界が近くなったよ。相撲に感謝。ぼくは相撲も観ませんが。
リングの上でぶん殴ってぶん殴られるトーニャの姿はうつくしかったなぁ。俺はリンクの上のトーニャよりもリングの上のトーニャが好きですね。不本意な戦いに全力でぶつかっていく感じが。
実家暮らしのテレンス・リー、あのバカは最高。トーニャにファクト列挙で罵られる場面は泣いてしまった。そのテレンス・リーより更にバカなバカ二人組はバカが一回転してこれは憧れない方の狂気。
全然関係ないのだがあの二人を見ていたら去年起きたシャーロッツビル衝突時の自動車突入男を連想してしまった。わけわからんバカの依頼でわけわからん暴力沙汰を起こすわけわからん連中なら対象がなんであれ別に関係ないだろう、と思えるあたり現代を照射する感。
貧困のつらさと社会のつめたさ全開の悲話ではあるがトーニャが発散する泥にまみれた生の輝きが挿入曲のシカゴ『25 or 6 to 4』と結びついて暗い気分には少しもならず。
なんかポジティブ。すごいポジティブ。井筒監督は『タクシードライバー』を見るととても元気が出るそうですがたぶんそんな感じだと思います(『タクシードライバー』のどこに元気要素があるんだろう)。
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渡瀬兄弟もスーサイド・スクワッドだからマーゴット・ロビーと同じだよ(暴論)
いつも楽しく拝読しております。
なんかポジティブで元気が出るらしい!他のとこでも評判が高いし!と期待して観に行きました。
何故かその髭トラッシュと肉トラッシュ(ショーン?)に強烈に感情移入してしまいだいぶ参りました…(自分と状況が割と近いからかも知れませんが)
この…何というか絶対に満たされることのない虚栄心とかヒーロー願望とか、自己実現欲求みたいなものをこの人たちは妄想の世界以外の場所で一体どうやって満たしたらいいのかな、と。
その可能性がないのは本人が多分一番良くわかっていることだし…
あのママの「私は花になりたい庭師(でも自分が花になる日は永久に来ない)。」みたいなセリフも地味に怖いですね。
そしてまた「俺らの誇りの超スゲえトーニャちゃんを縁の下で支える超クールな俺ら!」みたいな薄っぺらいアイデンティティも崩壊して格好つける余裕もなくなり、いよいよ自分がトラッシュでしかないことを受け入れざるを得なくなった後、この人たちは一体何にすがって生きていけばいいのでしょうかね(神さまとか?)。
それまでは少なくとも「ダメだけど、でも俺本当は良い奴だし」とかまだ思えていたんでしょうけども。
そこまで身につまされるということは相当凄い映画なのだろうな、でも辛い… みたいな感じを引きずりつつ映画館から帰りました。そんな予定ではなかったのですが。
それはなんかすいませんでした…いや私も境遇的にはあの自称軍事専門家みたいな人に近い誇大妄想型のワープアなものですから、こう、底辺バカが底辺バカを見てもレベルが同じだから取り立てて悲惨には見えないみたいな感じで、そこは笑って済ませてしまっていたんですが、この手の底辺アメリカンコメディは結構好んで見る方なので感覚が麻痺ってるところもあるのかもしれなくてですね…。
ご存知かもしれませんがセス・ローゲンとマイケル・ペーニャ共演の『オブザーブ・アンド・レポート』という妄想型ダメ人間コメディがありまして、『アイ,トーニャ』とは関係のない映画なんですがキャラクター造型は近いですし、ダメ凡人のスター願望がガンガン暴走して破綻していく展開も似ているので、あのトーニャの取り巻き二人も事件後はあんな感じで日々を過ごしてるんじゃないかなぁと個人的には想像してます。
その『オブザーブ・アンド・レポート』はよく警備員版『タクシードライバー』とか評される作品で…っていうかこれもダメ人間の悲しみが全開で実に気が滅入るコメディなんですが、観るとその内容というよりもこの種のダメ人間コメディ類型がアメリカ映画では完全に出来上がっていることに救われるといいますか。
これは本当にアメリカのショウ文化独特の構造だなぁとつくづく思うのですが、ダメ人間を晒し者にして(または自ら晒し者になって)客を笑わせる一方でその中から一般性を取り出して共感を喚起する、非常に両義的で捻れた社会的弱者の可視化と同化・社会的救済の仕組みです。
というわけで(…どういうわけで?)『オブザーブ・アンド・レポート』、『アイ,トーニャ』の解毒には大変よいのではないかと思います。毒をもって毒を制すみたいな解毒法ですが…。
いやいや、とんでもないです!
それだけ胸に刺さる作品を観に行って良かったのは確かだし、観に行くきっかけを作ってくれたここの記事にも感謝しております。あとサイコパスの犯罪者に共感するとかおかしくないか?異常なのか?みたいな不安がレビュー読んでちょっとマシになったのもありがたい。
ダメ人間コメディのジャンルについての話は大変興味深いです。「ダメすぎて笑ってしまう」というつくりになってるのはそれなりに理由があってのことなんですね。
出口も救いも見えないけど笑い飛ばせばちょっとは気が楽になるかも! みたいな…?
そうか、だから30年を馬鹿騒ぎということにして大笑いしよう、という訳なんですね!(その後飛び降りちゃうけど)
教えていただいた「オブザーブ・アンド・レポート」探して是非観てみます、ありがとうございます!
はぁはぁ、どうもありがとうございます、是非とも観てあげてください。あれ本当にどうしようもなくて好きなんですよ、『オブザーブ・アンド・レポート』。本当にどうしようもなくて(強調)。
「オブザーブ・アンド・レポート」やっと観賞しました。
結論から言うと見て大正解でした!(何にそんな感動したのかを考えるのにえらい時間がかかってしまいましたが…)
なんというか、本当に優しい視点だな、と思うのはこの主人公の在り方を決して美化はしないが全否定もしてないんですね。
主人公の推進力になっている彼の英雄願望は、概ね滑稽で傍迷惑なものとして描写されていますが、それを裏打ちしているものが何か根っこを辿っていけば、自己顕示欲や支配欲や破壊衝動だけではなくて彼なりの倫理観や美徳というものが確かにあって、彼はそれをまだ諦めていない、ということがちゃんと分かるようになっている。
それを嘲り笑う人がいる一方、評価してくれる仲間もちゃんといる。
それは概ね彼自身の破滅の原因となるのではあるけれど、最後の一線で踏みとどまらせるのもやっぱり同じものであるのだと。
一見どうしようもない人間のありように身をつまされて悲観的になりすぎてしまった心情を、視野を広げることで違った見方ができるようにする、という意味でまさしく解毒作用を持つ映画でした。
これは本当に観て良かった。
そうですか。そう言ってもらえると嬉しいです。私もこれ、どうしようもないバカに寄り添うやさしい映画だなぁと思ってまして、とくに手紙の前後あたりなんかはやさしさMAXで号泣でしたね。観た後はリアルでも少しだけこのセス・ローゲンと同じような勘違い系バカにやさしくなれました笑
うーん、自分に引き寄せて観るならともかく、他人として付き合うのは結構な根性が要りそうですね(人のことはとやかく言えないが)…
実を言えば最初の40分くらいは、わざわざ傲慢な物言いや横柄な態度をかましにいくロニーに辟易して正直何度も観るのを中断しました。「君のような社会的弱者を守ってやらないとな」とか面と向かって言っちゃうのかよ!のとこは白目を剥きかけました。まあこの人もハンデ負って苦労してきたっぽいですが…
手紙のシーンはマイケル・ペーニャが何と言ってるのかどうしても知りたくてDVDを買い、英語字幕を見直しました。
“You care too much. “と書いてました。訳では「お前は優しすぎる」となってますが、「真面目すぎる」とか「純粋すぎる」ともとれそうな。「優しすぎるのはお前だよ!」と観ながら思いましたが。
別に同情させようとはしてないんですよね。そうなんですよ、そこがすごく良くて…底辺バカの面倒くささとか、底辺バカに付き合わされる人の苦労が、一応カリカチュアされてはいるんだけれども本質的には冷徹な人間観察に基づくリアルなものになっていて。
だからラストなんかも非常にブラックな…あれは笑えるか笑えないかの境界をかなり笑えない方向にオーバーしていると思うんですけど、そこでイイ話に落とし込まないので、あぁこれは誠実な映画だなと。他者を他者として誠実に描いているなと感銘を受けたわけです。
『オブザーブ・アンド・レポート』は2009年の映画ですけれどもショッピングモールをアメリカの縮図として、その上に展開される露骨な経済・教育格差や暗黙的な人種差別、異分子のチン入=テロの不安といったアメリカの病理の複合的な絡みをピエロ的な狂った警備員の目を通して見させるという趣もあり、その意味では今に続く諸問題を的確に捉えていたようにも思います。
あの男のその後を想像しますと、彼はおそらくトランプに票を投じたでしょうし、昨今は白人警官による無防備な黒人男性の射殺が暴動に発展するほど非常に大きな問題になっておりますけれども、その報道を見ていて私が頭に浮かべたのもやはり彼の顔で、そうすると全然信用や同情に足る人間という感じではない。
ただそういう人間から目を逸らさない、ということですね。そういう人間を目を逸らさずに観察して、どうしてそういう人間がそういう事をするのか理解しようとする、理解しようとするとその置かれた環境も理解しなければならないので、いきおい理解できない他者を通してアメリカの形が浮かび上がってくると。
そうした他者に対する極めてドライだけれども理性的な姿勢が『アイ,トーニャ』にはあまり見られなかったこの映画のやさしさかなぁと個人的には思ってます。
あの”Where is my mind”に乗せてやっと巡り会えた運命の変態とのキャッキャウフフ追いかけっこが多幸感溢れすぎてて観るたびに「ロニーよかったね!」とか思いそうになるのですが、言われてみればやたら引っ掛かる描写だらけでしたね。良い話で終わらせないためと考えれば成る程腑に落ちます。
ともあれ映画を観て実際に気持ちが救われたり、物事の見方が変わったりすることが本当にあるのだと分かっただけでも自分にとって大変嬉しい驚きでした。歳をとってからぼちぼち映画を観始めたのですがなかなか良さが分からず、自分には映画は向いてないかも、と思っていたところなので、ちゃんと自分に合う作品もあると知れて良かった。ありがとうございます!
さわださんが記事に書いていた「ナイトクローラー」や「キング・オブ・コメディ」も観てみよう。
あぁ!あそこWhere is my mindでしたか!それは完全に忘れてました!いやぁ、それは確かに激アツですし、それに皮肉が強烈だ…Where is my mindといえばやはり『ファイトクラブ』の超皮肉かつ激アツな名エンディングですから、そのアンサーも意図されているのかも、と妄想が広がりました。
「ナイトクローラー」も「キング・オブ・コメディ」も好きな映画なので見て頂けると嬉しいのですが、それにしてもまた気の滅入る作品チョイスですね…
いやー、関連するジャンルの映画だったらいいな…と。
気が滅入るかも、と覚悟しておきます。
超今さらですが、人様のレビューサイトのコメントにあるまじき文章量を投稿してて、ほとんど荒らしみたいになってますね…
申し訳ありません。だいぶ舞い上がってました。
以後コメントの量をもうちょっと考えますm(_ _)m
これからもブログ楽しみにしてます。がんばってください!
遅くなりましたがありがとうございます。でもコメント欄は別に適当に使ってもらって構わないですよ。個人ブログですし。