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内輪向け教団PR映画(PRとは)『心に寄り添う。』から間髪入れずに劇場投下されたハッピー映画の新作は主演が大川宏洋&千眼美子の教団的最強タッグ、映画館に観に行ったらロビーには『心に寄り添う。』ほかハッピー映画で見たことのある顔ぶれがチラホラだったのでなんかプレミア上映感があったのですが内容もプレミアムでしたよ。
だって大川総裁の半自伝映画だもの。大川隆法の若かりし頃を大川宏洋が演じるんだもの。それはめちゃくちゃ盛り上がるし盛り上げるよね幸福の人は。
宗教家の半自伝映画であるからには一にも二にも自己宣伝であると言ってしまえば身も蓋もないが身も蓋もないのは俺の感想よりも映画の内容の方なので文句があるなら映画に言っていただきたい。
オープニングは大宇宙を駆け巡る神秘的な光の球。この光球がなにかに導かれるように否なにかを導くかのように地球に到達したその瞬間、テロップに「1956年7月7日」。大川総裁の出生日とされている日付であった。
早すぎないか宣伝が。俺には早すぎるように思えたが映画は無知な非信者を待ってはくれないので次のカットは80年代のいつか、商社に入社したヤング総裁こと中道真一こと大川宏洋が赴任先のニューヨークで在りし日のツインタワーを眺めて独り言つ。
「あのビルが本物なのか、自分の心の声が本物なのか、どちらを取るんだ中道真一」そこはかとなく押井守感が漂ってしまうが言わんとすることはやはり俺が正しかった的なことであろうから無情かつ容赦のない自己宣伝であった。
宗教家としての大川中道の歩みは学生時代の霊的めざめ(知らなかったのですが自動書記だそうです。中道ならぬ王道)から始まり商社に勤務しながらのサイド布教活動および瀕死の人の傷を霊力で癒やすなどの隠れスーパーヒーロー活動を経て89~90年ごろの幸福の科学(的な宗教団体)ファースト講演会開催でひとまず幕を閉じる。
総裁の歴史は教団の歴史。自己宣伝即ち教団の宣伝。度々のプチ挫折にめげず信仰の道を邁進し信仰によって救われるヤング総裁の姿は同時に多くの観客の姿でもあるんだろう。
観客とスクリーンの一体化を目論む典型的で無味乾燥な映画プロパガンダという気もするが、興味深いのはやっぱヤング総裁を大川宏洋が演じるっていうそこでしょう。
ラストシーンは大勢の信者が待つ講演会会場ではじめて救世主として舞台に立つ大川宏洋。なんと愚直な権力移譲の図式! 絵面の良い悪いはともかくとして、大川総裁自ら正統な後継者として大川宏洋を指名した教団エピックとしてたいへん興味深い映画ではあるんじゃなかろうか。
その大川宏洋のニュープロ代表および教団副理事電撃退任が発表されたのは今年1月。『さらば青春、されど青春』のクランクアップは昨年11月というからこれで一区切りっていうか、仮にそれ以前から辞意が固まっていたとしてもこれだけはやり遂げないといかん仕事だったんでしょね。
その関係かどうかは本人以外に知るよしもないが心なしか、映画の要であるはずの空虚な説法台詞はまったく力がこもらない。
他方で悪魔を演じる(※『君のまなざし』に続いて再び善悪の一人二役)時には実に生き生きとしていたし、信仰と俗世の狭間で懊悩する姿はたいへん真に迫っていたような気がするが…まぁ個人的にはそう見えた、程度に留めておいた方がいいだろう、こういうのは。
大川宏洋の胸の内はともかく教団エピック的には大川宏洋の離脱は映画の中で総裁が辿った道(天命を受けた人間が安全な故郷を離れて上京、家族の助けを借りずに数々の試練を乗り越え…的な)をなぞるかのような貴種流離譚の響きありということで、結局それも総裁の神格化と後継者レールの敷設に貢献する教団通過儀礼となるわけだから幸福のPR部隊は上手いことやってるなぁ、と思う。
ただしPRとして、祭典として、信者の人心掌握術として上手いということで…単体の映画としてよく出来ているかというとこれが全然で困惑してしまった。
原案が大川総裁は当たり前だがスタッフロールでは確認できた脚本クレジットがなかなかネットで探しても出てこない。たしか大川裕太だったはずですが…あれだな、修行的な意味合いでの脚本参加かもしれないなこれ。父の教えをどう脚本に生かすかみたいな。
そうだとすると納得感があるがつまり一本調子の総裁賛美映画で本当マジで芸がなくて面白くない。『君のまなざし』の面白さはなんだったんだと思うがあれは大川宏洋の趣味の部分が大きかったんだなぁと大川宏洋のフレーム外の不在を痛感した。
守護霊・背後霊の雑CGだって『天使にアイム・ファイン』ぐらい振り切れていればいいものを変に堅実で飛躍しない作りだから雑が目立つばかり。
大川中道に後光が差す(※そのままの意味です)場面のアホらしさを見れば、教団関係者を含めたスタッフの側もぶっちゃけあんまやる気がなかったとしか思えない。
総裁の半自伝であるから総裁作詞作曲のオリジナルソングもいつものハッピー映画の五割増しとゴージャスも俺はハッピーソングが良いと感じたことは一度もないのでいつもの五割増しでサントラひでぇ。
合唱はしやすそうな曲ばかりだったからみんなで歌う分には幸福的に最適なのかもしれないが、それはあれか、どうせ内輪の人間しか見ないからとタカをくくっているのか。まぁ確かにそうかもしれませんが…。
面白かったところといえば中道の才能を確信した父親中道が『日蓮の霊言』みたいなやつを出版したらそこそこ売れちゃって調子に乗った中道一家がソクラテスとかアマテラスとかイエスとかの霊言本を片っ端からリリースしていく下りでなんですけどあれ面白がらせるつもりではシナリオ書いてないよね絶対。
でも霊言商法に総裁サイドが自ら言及したという点で資料的価値も高いのであそこやっぱ見物だ。総裁の拘りなのか二度も画面に映り込む『いちご白書』のポスターも見逃せない。その、あまりの唐突さが。
カメオ的ワンシーン出演の木下ほうか、ビートきよしらをメインキャスト的にポスターに書き入れるセコさは毎度のことのような気もするので興行モラル的にどうかと思いつつどうでもよくなってしまった。
だいたい興行モラルの問題を言い出したらセコポスターでは済まないから…そのあたりは各自、ハッピー公式サイトの映画宣伝記事なんかを参照のこと。
ちなみに千眼美子さんはトータル出演時間が20分ぐらいで終盤になってなんの前触れもなく急に登場し大川中道と恋仲になりそうになるが何もないまま物語からフェードアウトしていきました。なんだったの。
【ママー!これ買ってー!】
国内盤DVD、なんとまだ出てないんだよ『いちご白書』。
後継者は、何故か長男ではなくて次男だったような。
生まれる前から決まってたらしい。
あの当時、今池の映画館で『いちご白書をもう一度』を観た。
この映画で、何故、『いちご白書をもう一度』なのだろうとは思ったが、懐かしかった。
え、次男なんですか。それは意外でした。宏洋、咲也加と比べてあまり表に出てくるイメージがなかったもので。
劇中で『いちご白書』が出てくるのは80年代半ばぐらいだったと思いますが、そうすると公開年と時代が合わないので不自然ですね(名画座デートと解釈することはできますが、公園にポスターが貼ってあるのは…)
よほど思い入れがあったんでしょう。