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戦地とラジオの組み合わせから故ロビン・ウィリアムスの『グッドモーニング・ベトナム』みたいなものかと思っていたがドキュメンタリー、入り口からして違ったのですが最近のドキュメンタリーかと思えばそれも違い2014年9月よりIS支配下に置かれ激しい戦闘の末2015年1月に解放されたシリア北部のクルド人地域コバニの、そのコバニ包囲戦(というらしい)の一部始終~復興の様子を捉えた2016年のドキュメンタリーというわけでこれを2018年5月に見るわけだから最低でも3カ所ぐらいは映画と俺のボタンがズレてる。
それだけわかっていれば見れるは見れるがやはり気持ちが悪いので掛け違えたボタンを正そうとまずは2014年のシリア内戦どんな状況だったんだろうと年表的なものを見てみると絶句、いや、そのむごさにではなくて(むごいが)争乱の長さと関係勢力に多さと目まぐるしい情勢の変化っぷりに。
これもう無理だね。付け焼き刃のなんとなく知識すら頭に入らないのでむかしむかしコバニという町でこんなこともあったが今は平和になりました的な現実逃避で良しとする。良くない。
いやそれにしても悪趣味は自覚しているが率直に言って壮観と言うほかないな。ISの攻撃で破壊し尽くされたコバニの町が古代のネクロポリスみたいで。なんか建築様式とか建材のせいもあるんでしょうが。
映画の入り口はネクロポリスと化したコバニの空撮映像なのですが前述の事情もあるので現実感がまったくない。ところがそんなところにも生きた人間がたくさん住んでいた。
当たり前なのかもしれませんがこれが映像で見ると実に不思議な印象で…その現実から遊離した破壊の光景と生活のリアルを繋ぐのが学生の立ち上げた地元ラジオというわけなのですが。
ラジオと言えば東北復興に際しても地元ラジオが大きな役割を果たしたそうであるし、破壊され尽くした街並みの非現実感はなにか覚えがあるような、と思えばそうだ東日本大震災の時の感覚だこれは。全然現実のことと感じられなくてテレビで見ながら映画みたいだなぁって思ったもんな気仙沼の大火とか津波が呑み込む仙台空港とか。
この映画をシリア内戦の一つの相としてその文脈から映画の内容や立ち位置を把握するのは俺にはかなり難しかったが、あの瓦礫の山の死体捜索・回収の場面を見ても想起するのはやはり震災後の光景であって、そのような受容も可能な間口と射程の広い映画だと思ったな。明るいしね。
いや、こういう題材を扱った映画ですからその普遍性ばっか(見る側が)強調して画面に映る事象の特殊性とか現在進行形の背景を考慮しないのはダメっていうのはわかるんですけどまぁ、あんな殺戮の後とか廃墟みたいなところでも普通の生活を送ろうと奮闘してる普通の人々が居るっていうのを伝えるのが映画の主眼であったでしょうから…。
【ママー!これ買ってー!】
その震災後の南三陸町の人々を支えた地元ラジオに取材したドキュメンタリー映画のアフィリンクかなんか貼ろうとしたんですがこの映画なにやら複雑な問題を抱えておるらしく、図らずもメディアバッシング(またはメディア宣伝)の具にもされてしまい被写体の人は悪くないが映画を取り巻く状況は大変醜いものとなっていたので不適切と判断。
というわけでコバニと同じくシリア内戦でISの標的となったラッカの市民ジャーナリストに密着した『ラッカは静かに虐殺されている』のアフィリンクを大人しく貼っておきます(Amazon以外でもアップリンク他での上映、配信あり)。