《推定睡眠時間:25分》
なにに驚くかと言えばポール・トーマス・アンダーソンというアメリカ映画の巨匠ポジションの人がですよ、名優ポジションのダニエル・デイ=ルイスの引退作としてですよ、こんな小品を持ってくる、丹念で奇を衒わない感じの慎ましやかな。
『ブギーナイツ』でも『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも『マグノリア』でもなんでもいいですけどPTAの映画、あんまノーマルじゃない領域の人間模様を俯瞰的に捉えてそこからアメリカの全体像を炙り出すみたいな、直接社会問題に触れたりとかはしないんだれどもそこから現代アメリカの闇を照射するみたいな、なんか系譜学的な手法を取るじゃないすか。題材はミクロなんだけど巨視的な。
でもこれはそういう野心的なところが全然ないな。ファッション界の映画とくればPTAが私淑するロバート・アルトマンの『プレタポルテ』も脳裏をよぎるがあんな大仕掛けだって別にない。変化球もない。
単純にもう単純に、ストレートにおもしろい綺麗な映画作ったからみんなたのしんで見てねっていう感じだ。これは映画ドラえもんみたいにエンドロール後にダニエル・デイ=ルイスが出てきて客に挨拶してもおかしくないと思ったよ。
みんな楽しかった? 来年も見てね~! って。ダニエル・デイ=ルイスの俳優的来年はないわけですが。そんな陽性の映画でもないのですが。
超高名かつ神経質なオートクチュール職人と平凡にして開放的な試着モデル兼お針子(なんていうのあのポジション)と、二人が暮らす小さなハウスのお話。ぼくはユニクロか西友ぐらいでしか服を買わない人なのでその世界はあまりに遠くメガネを掛けて観たのに裸眼状態だ。
キャンバスが小さい分だけシーンのひとつひとつ小道具のひとつひとつエキストラのひとりひとりまで作り込まれ選び抜かれた、どこを見ても作り手の心配りが感じられる映画のようではあったが裸眼だからそれもボヤけてよくわからない。
でもおもしろかったですよ。あのオートクチュールのドレスを見てもなにもまったく思わないし、あのハウスの雰囲気に浸ってもとくになんの感興も湧かないし、あの二人の恋愛の顛末に辿り浮いてもふぅん、で終わったが(それは観ている側がむしろ終わっているのではないか…)ぼんやりおもしろかったです。
そういうの良いっすよね。なんとなくのおもしろ。映画っぽい匂い。映画館の椅子に座ってぼーっと観てるだけでおもしろいやつ。
その、よくわからないけどなんかおもしろい感覚というのはわりと、ぼくが映画に求めるものなので。
しかしPTAらしからぬこの小品っぷり驚きますが最初の長編映画の『ハードエイト』とかこんな感じだったと思うので初心に返っただけなのかもしれない。
『ハードエイト』のストーリー。社会の底の方でくすぶってる凡若者のジョン・C・ライリーを老練ギャンブラーのフィリップ・ベイカー・ホールが拾って一流ギャンブラーに育てようとするがギャンブル腕が上がっていくにつれて軋轢が…男女の違いはあるが『ファントム・スレッド』もベースは同じでしょ、ほとんど。
ほかに連想した映画を並べてみるとジョセフ・L・マンキウィッツの『幽霊と未亡人』とか黒沢清の『ダゲレオタイプの女』とか、こう、野心的な映画を企てがちな大映画作家がポっとやる素直な小品が出てくるので面白いものだなぁと思うがそれネタバレじゃないのかと憤慨するまだ映画を観てないシネったフィルな人は憤慨しなくていいです。
『幽霊と未亡人』も『ダゲレオタイプの女』も幽霊の映画ですが別に『ファントム・スレッド』は幽霊出てこないですから。でもこれは、『回転』みたいな英国幽霊譚の系譜ではあるんだろう(その意味でも『ダゲレオタイプの女』とはたいへん近いように思う)。
そこに死んだ母親の面影を認めたのかモデルに異様な執着を見せて創作意欲超充実、最高ドレスの量産体制に入るオートクチュール職人。高名な職人が世界の誰より自分を求めているという気になって凡モデル超うれしい。嬉しすぎて恋愛感情に変わってくる。よくある誤解。
でも職人はモデルをフィギュアとしてしか見ていなかった。フィギュア、エンバーミングの施された母親の遺骸。穿って映画を観る人ならばそこに近親ネクロフィル的な欲望とインモラルを見い出すのではないか。ぼくはそこまでは思いませんが。
フィギュアはフィギュアでいてほしい。急に動き出したらびっくりする。びっくりするし、うれしい人もいるかもしれないが普通はこわい。
オートクチュール職人はガシガシ自分の懐に入り込もうとする凡モデルにたいそうびっくりした。ついでにそのガシガシをこわがった。俺もこわかった(爛々とした目が特に)。
しかし、しかし。このオートクチュール職人はフィギュアが動き出したらうれしい人でもあったのだ。まるで死んだはずの母親が蘇ったように感じられたから。
こうして母親の生と死が二重写しになった凡モデルのヴィッキー・クリープスが職人ダニエル・デイ=ルイスを狂わせていく。その生気を食うかのように日に日に元気になっていく。
食われた方のダニエル・デイ=ルイスは日に日に衰弱しながらその先に待ち受けているに違いない母親の復活を待ち望む。弱った身体で幼児退行。ハウスにママの呼吸を感じて甘えるが、ちょっと待てよ俺には服を作る仕事があったのでは…俺は世界有数の天才職人だったのでは…?
ハウスを管理するママ代行の姉レスリー・マンヴィル(仏頂面でユーモア担当)にその混乱をぶつける場面がかなしい。ぼくあんな女きらいだ! ぼくをめちゃくちゃにするんだ! お願いだから追い出してよぉぉぉ!
でもできない。したくない。もう二度とママを失いたくないから。死に向かいながら母胎回帰を夢見る二律背反だ。しかし最終的に行き着くところは一緒だろう。名場面。
ごめんさっきネタバレじゃないとか書きましたがここまで書いたらもうネタバレだったわ。なにもかも分裂して二重化するファントムなハウス、ファントムな映画なのでぼくの感想も途中で分裂して二重化しました。
ホラーだね、ホラー。上品なホラーもあるものです。最後に最高のお仕事をありがとうダニエル・デイ=ルイスと仲間たち(しかしなにもかも二重化する映画であるから、引退宣言も二重化していつの日か復活する可能性もあるのだ)
【ママー!これ買ってー!】
幽霊の立ち方もなんか似ているので諸々、朦朧と繋がる。人生は朦朧。
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