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映画の舞台となるのは社長+従業員一人の小出版社ということで夏目漱石の新訳本が小道具として出てくる。それで邦題『それから』か。文学を媒介とする恋愛、願望。
どういうお話かと言えばその社長クォン・ヘヒョがやたら従業員に手を出す(※若くて都合の良さそうな女しか雇わない)ので従業員と社長の妻が怒るという身も蓋もない不倫会話喜劇なのですがそれにしても驚いたのは、それから館ひろし主演の『終わった人』を観に行ったらまたしても中年オヤジが清純派の若い女(広末涼子だ…)とええ仲になろうとする映画でこちらも日本文学…石川啄木と宮沢賢治が二人を繋ぐかすがいで、その舘ひろしの役名が壮介ですよ、壮介。
いや、文字に起こすとなんのことやらですけど映画観てる間は字とかわかんないから。啄木賢治ときてソウスケソウスケ呼ばれてたら宗助に脳内自動変換されてしまうよ、『それから』のそれからな『門』の主人公・宗助に。
まったく謎シンクロニシティとしか言いようがない。『それから』でクォン・ヘヒョが魔の手を伸ばそうとする新入社員がキム・ミニで、この人は小説家になろうとしている人。
他方『終わった人』で舘ひろしがギンギンに勃起して(落ち込んでいるところを見計らって酒を飲ませた上で)ホテルに連れ込もうとする広末涼子も童話作家を目指していたのだ。
『終わった人』はなにも中年恋愛が主題というわけではなかったのでこれはサブエピソードに属する部分なのですが、いやそれにしてもな。ピグマリオン的な中高年オッサンの恋愛願望のどうしようもなさはちょっと日本海越えたぐらいじゃ変わってくれないと痛感したよ。
でまたその恋愛の結末というのも比較するとたいへん興味深いところだったのですがー、それ以上は『終わった人』のネタバレに入ってくるので置いておくとして『それから』の感想の続き。
従業員にやたら手を出すと言ってもこの社長はドンファン的な感じではなく、どちらかと言えばうだつが上がらない部類。評論やったり小説書いたり新人文学賞の審査員をやったりと文壇で一定のポジションを築いてはいるが、それ以上は見込めそうもないと本人もよくわかってるっぽいのでポジション死守の構えがガチ。
その心労が不倫に走らせたかどうかは知らないがともかくそういう男であるからマウンティングのできなそうな女はハナから眼中にない。
よく世間を知らん新卒だかインターンだかの文学女を文壇人脈をフル活用してサルベージしては文士マウンティングをかけつつ社長と従業員の力関係を微妙に利用しつつ…なんか最低な人のようであるが実際にそういう人なんだからしょうがないんだよ、そういう人に監督ホン・サンスの愛するキム・ミニが立ち向かう話なんですよこれは。
キム・ミニは例によって社長の愛人だった前任者の(関係悪化に伴う)退職を受けて新規採用された人。映画は社長とこの人のおもに勤務初日の出来事を時系列を解体したパズル編集で描く。
そういうトリッキーな趣向なので体感としてはわかりにくいが改めて考えてみるとこれはめちゃくちゃ濃い一日。なんせキム・ミニ、出勤早々に社長の不倫に気付いた妻から愛人の濡れ衣を着せられて殴られてますからね。妻は妻で別の意味で手が早かった。
それから社長も交えて完全に修羅場な三者会談など開かれるのだが、その前後にはキム・ミニが新人賞の選外常連であることを知った社長から応募作のタイトルを聞かれるなどしているので(俺と寝れば最終選考に残してやると言外に言っているわけだ)まだ初勤務も終わってないのに凄まじいブラックっぷり。
ブラック企業の常として加害者の側は加害の意識がまったくないのであるがこの社長に至っては俺は被害者なんだぐらいな態度に出るから救えない。その救えなさが控えめに言って爆笑ものであった。
最高もう最高でしたよ社長のクォン・ヘヒョ、マジ小物。何か言われてもヘラヘラ笑って受け流してですね、それが効かないとなったら場当たり的な嘘をつくんですけどその嘘のクオリティの低さ!
愛人の居場所を問い詰められて出てくるのが「海外に行ったよ」って逆にその発想ないよ。絶対バレるじゃんっていうかバレ要素しかないじゃんそれ。
マウンティングポジションの崩落を恐れてこういう場当たり的な嘘をまき散らしているうちに追い詰められていくクォン・ヘヒョの滑稽ときたらないのですが、でも泣けるんだよね、っていうか俺は泣けたんですよ。
この人は自分の無能を痛いほど知っているから一度手にしたマウンティングポジションにしがみつくのであって、その姿は滑稽だし憐れだけれども、それを断罪して鼻で笑えるほど俺も自分を有能だと思ってないすからね。
わかるわぁって感じですよ。意識しないだけで俺もこういうマウンティングやってんだろうな常日頃。自分を良く見せるための場当たり的な嘘なんて日常茶飯事なので。
これが監督ホン・サンスの自画像だとは思わないが何か贖罪のようなトーンが感じられるのはホン・サンスとキム・ミニが交際している事とは無関係ではないんだろうなぁと思っていたらなんでもこれは不倫でコリアン芸能界では一大スキャンダルになっていたそうで、現在ホン・サンスは離婚調停中だそうで。
じゃあもう贖罪だよ。少なくともホン・サンスの贖罪の映画としてしか見れないよ。業が深いよ…。
こんな最低男に散々な仕打ちを受けても(映画の中の)キム・ミニは動じないし屈しない。聡明で清純で毅然としていて子どものようなキュートを湛えつつもその眼差しは慈愛に満ちて、となんだか聖母の如し存在感。
ぼくはキム・ミニという人を『お嬢さん』で知ったのですがその時はおぼこい危なっかしい人の印象しかなく、今もってその印象は変わらないが(動物的な演技センスがあるという印象は加わったが)、そのキム・ミニを愛でるというよりは崇拝するように、親密であるよりは手の届かない存在としてフレームに収めるところにホン・サンスの本気の感じてちょっと感動してしまうし、確かにスクリーンの中のキム・ミニはそんなように見えたのだ。
キム・ミニよりうつくしい人は腐って石油になるほど居ると思うが、映画の中のキム・ミニは世界中の誰よりうつくしい人と映るんである。それが監督ホン・サンスにとって都合の良い理想化されたキム・ミニだとしても。
【ママー!これ買ってー!】
監督と主演女優がカップルな映画シリーズ。こんなにうつくしくもおそろしい岩下志麻は他におらんだろうと感じさせてくれる。重要なのはそこまでうつくしくもおそろしいかではなくそう見えてしまうということなのである。
岩下志麻の無理すぎる難題を甘んじて受け入れる山賊・若山富三郎のキュートも激萌え(攫ってきた女にクンニする山賊などいるだろうか!)。
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