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このあいだ駅ですれ違った清廉フレッシュなビジネスヤングウーマンが同伴の清廉フレッシュなビジネスヤングマンに「みなさん愛が溢れていて…」と言っているのを聞いて、そこだけしか耳に届いていないのであれはいったい何の会話だったのかわからないがなんとなく記憶に刻まれてしまった。
言う? 社交辞令で愛がどうとか。これをパラフレーズして「みなさん優しさに溢れていて…」とかなら分かるじゃないですか。でもそこで愛の語が出てくるっていうのが不思議な感じで。
いきなりなんの話か。『夜の浜辺でひとり』に知人宅でのミニ歓迎会に招かれたキム・ミニが酔いに任せて愛について一席ぶつ場面があり、「みなさん愛が溢れていて…」が通り過ぎていった時にふとそのことを思い出したんである。
ある、と言われても困ると思うが書いている俺も(だからなんなのか…)と困っていますからお互い様です。いいんだよ。いいんだよ! 私小説じみた個人映画なんだから私小説じみた個人感想で別にいいんだよ。
俺にとってはなんとなく交わるのですよその、愛の語のほかになにも繋ぐもののない言葉とシチュエーションが。そのような個人的な感慨を映画の外側に振りまく『夜の浜辺でひとり』である。
ところでこの文学臭ふんぷんたる素敵系タイトルは監督ホン・サンス×キム・ミニの前作『それから』が夏目漱石の引用だったように(といってもハングルわからん勢なので原題はどうか知らないが)なにかしら本の引用なんだろうと思われ、ホンの分身たる映画監督がキム・ミニの前で本を朗読するという日本語で文章にすると駄洒落てしまう場面があったからその本の引用っぽいがタイトルが出てこないのでなんの本かわからない。
あの丁重な扱いを見るに有名な本なのだろうという気がするが。それとは別に、夜の浜辺にひとりなキム・ミニの背中には漱石の『こころ』を、そのこころに“先生”の手紙を、キム・ミニの背中をフレームの外から見つめる見えざるホン・サンスには“先生”の影が見えた気もし、キム・ミニがハンブルクのひっそり書店を訪ねる場面もある映画だからやたらと本に縁がある。
サンス(sens)というフランス語は意味の意もあれば方向の意もあるとインターネットに書いてある。ホン・サンス…本・サンス! その物語と物語の受容が本と結びついてしまうのは必然であった。
なにもそんな駄洒落を紡ぐために感想を書き始めたわけではないが、でもまぁホン監督も事前にホンを作らないで撮影当日にその日の分のホンを書く流れに身を任せるタイプの人だそうなので僕も任せますよ。
という奇特でおよそ合理的ではない(しかし臨機応変に現場の状況に対応できるという意味では合理的なのかもしれない)撮影手法を採用しているためかどうかは知らないが変な映画だったなこれ。
映画監督との不倫スキャンダルでハンブルクに緊急避難したキム・ミニ(バックストーリーではなくそういうストーリーなのだ)、というところから映画は始まるがなにかありそうでなにもないままさっさと韓国にトンボ返りしてそれで別に韓国に戻ってもとくになにもないっていう。
いやそれは失恋人間のさまよい譚としたらありがちな感じかもしれませんがだってほらまんまじゃんそれ、ホン・サンスとキム・ミニのリアル関係まんまじゃん。
それで惚気ているわけでもなしに。いや舞台裏では惚気ているのかもしれませんが惚気て撮るのがこれかよみたいな。こんな寒々しい、今にも心中してしまいそうな、終わった関係の…。
すごいと思ったのはだよ、こういう映画であるから繊細なポエムだなぁってしみじみ見てたらホン・サンス(の分身の)組のスタッフが出てきて「監督はだいぶ憔悴してますよ!」とか「マスコミは無責任なんです!」とか言う。
それはそうかもしれないけども台詞にするかね。っていうか出来るかね。その台詞を書いた朝のホン・サンスになにがあったというのか…。
この、詩人的繊細と同居する良い意味での厚顔無恥。おもしろいですよね。それを映画の中の監督の分身が言うんじゃなくて監督の分身のスタッフが言うっていう良い意味でのヘタレ感もすごいよね。
良い意味でを付ければ何を言ってもいいと思っているのか。でもこんな情けない映画あんまないからな。人としてはどうか知らないか映画としては良い意味ですよ。良い意味でこんな情けない叙情の…叙情っていうかこれもうツイッターだよ。
こんなダメ人間のツイッターみたいな映画だとは予期してなかったしそれも物語が佳境に入って急にだから、『こころ』の手紙の如く急に監督がカメラでツイッター始めるんですよそれまでキム・ミニの映画だったのに…。
だからもう、変な映画で。その変が良くて。で、キム・ミニはその変の中で自分を解き放っているような感じがあって、ホン・サンスのフィルターを通してどこまで芝居を広げられるか試しているようなところがあって、その親密な危うさには瞠目してしまうというそのような感想。
あの「みなさん愛が溢れていて…」が『夜の浜辺にひとり』を思い起こさせたのは、俺にはそれがキム・ミニのホン・サンスには見せない営業人格と感じられたからなんであるがそれにしても飛躍がすごい。
いいんだよ、『夜の浜辺にひとり』も良い意味で飛躍がすごい映画だから、良い意味で…。
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