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出た! 通学路の桜並木! まんが原作学園映画の大定番なひらひら舞う桜の花びらを全身に浴びながらのオープニング通学シーンがファンシー&ポップな学園生活を早くも予示し、原宿系叙情派女子高生映画の巨匠・月川翔イズムは今回も全開か!
と期待がふくらむがしぼむのは意外と早く最終的にはエンドロールに「スーパーバイザー:秋元康」の文字を発見したことでそんなものは最初からなかったと仙水的な何かを静かに、冷静に、やさしくそしてかなしく否、かなしみすら感じさせないことの空虚なかなしみを込めて言いたくなる、自分に。
知らんかったお前が悪いと言われれば一言もないがタイトルロールの天才文学女子高生を演じた平手友梨奈、欅坂46の人なんだろ。
うわもうプロモじゃん完全にプロモじゃん。原作準拠のキャラ設定(と思われるが読んでないから知らない)とはいえだな、自分がこうと思ったら絶対に考えを曲げないし自分が納得できないことはドストレートに相手にぶつける、自分や友人が理不尽な目に遭わされたり侮辱されたりしたら暴力込みの倍返しは当たり前、そのためには自分の命を投げ捨てることさえ厭わない、要するに守りに入った偽善的な大人どもの常識をぶっ壊すライオット女子高生…ってそれ欅坂のコンセプトじゃないか。
萎えますよそりゃあ。タチの悪い映画だよーこれはー。だって鮎喰響の敵はそういう大人の奸智とかコマーシャリズムであるからねー。
実際のところ秋元康サイドの介入と影響がどの程度のものだったのか知らんのですが、とはいえ結果的には実に厭らしいプロモ的な作りになっていたようにおもう。
俺ごときが説明するまでもないと思うが一応ざっくりストーリーに触れると、あるところに三度の飯より小説が好きな協調性ゼロ女子高生がいた。
これが響で、どのくらい協調性がないかと言えば入部した文芸部の部長・凛夏(アヤカ・ウィルソン)が自分で自分のために分類した面白い小説とつまらない小説に難癖をつけて勝手に面白い棚にあった小説をつまらない棚に移動した挙げ句、棚をぶっ倒すくらい協調性がないっていうかめちゃくちゃ嫌なやつです。
ぶっ倒すことはないだろうぶっ倒すことは、なにも俺の(※凛夏の)面白いと感じたものをお前も面白いと感じるよう強要したわけでもないしここお前の部屋じゃないんだぞ。
それにお前本棚全体ぜんぜん見てなかったじゃん、並んでるタイトルを全部把握したうえでこれはつまらないとかこれは面白いとか文句を言うならまだ筋は通っているがたまたま目についた一冊の嫌いな本を槍玉に挙げて俺の(※響の…)感性が正しい的なことを言われても筋が通らんでしょうが筋が。
批判するなら読んでから批判しないと卑怯だ的なことを自分で言ってただろうお前…あと人の家に勝手に上がったらいかんよ。お前あれだろう人の家に遊びに行った時に勝手に冷蔵庫開けたりポテチ食った手でゲームやってコントローラー油まみれにするタイプだろ。
いかんよ、それはいかん。それは超えてはいけない一線だ。そんな場面は映画には出てこなかったが絶対やるよ響なら。いったいなんなんだよお前、なんなんだよ!
とこの主人公を見ながらムカッ腹が茶を沸かしてしまう時点で既に秋本流煽動商法に乗せられているのですが、性格のブロークンな響が小さな短編小説公募に一編の小説を手書き応募してみたことから物語ゴロゴロ、具体的にはつまらない大人どもと次々エンカウントしてパワハラを受けたりセクハラを受けたり悪食マスコミの餌食となったりして、その度に基本的に暴力でもって汚い大人どもに反撃していく。
わかりやすく下衆な大人を矢継ぎ早に投入して観客にわかりやすい義憤を植え付けつつ下衆どもを響にぶん殴らせて溜飲ダウンというこの構図。
プロモだから響こと平手友梨奈の反撃を受けた大人どもはその本気っぷりに恐れをなして身を引いたり襟を正したりするわけですが、そんな風な平手友梨奈の偶像化のためにアヤカ・ウィルソンとか「君その顔で小説書くの? 援交のが向いてない?」みたいな公然セクハラ台詞を食らったりするのでちょっとえげつないんじゃないですかねその作りは…。
わかりやすさを重視した結果だろうとはいえ小説を情動の産物とするのも観る側のゲージツ感覚を低く見積もりすぎている気がして不快だったなぁ。
そりゃ書きたいっていう衝動は創作の核でしょうけれどもさぁ、小説を書く技術と小説に向かう情動を一緒くたにしちゃったらそこに葛藤とか生じなくて面白くないじゃん創作者の物語として。
だいたいデリカシーがないじゃないですか。そんな精神論的な創作観とかお前(誰?)プロの小説家を舐めてんのかよって話になるし、芸術無罪的な結果論の弊害が色んなところで噴出してる昨今まだその路線やる? とかなる。
どんなに人を殴っても法に触れそうなことをしてもたった一本の短編小説が超絶すばらしかったから(なにが素晴らしいのかは誰もまともに説明しないのでわからない)作者をなんとしても擁護すべきというのは結構なことですが、その展開でやるんならもうちょっと本気でその問題に取り組んで欲しいっつーか、そこらへんが劇的になおざりなのでプロモプロモとつい揶揄ってしまうわけですが…。
それにしてもなんで響はこんなバイオレントな人になったのだろう。どうせ虐待の過去がどうとかそういう女子高生映画のいつものやつがあるんだろうなと思ったら特になかったのはある意味斬新な展開だったかもしれない。
ついでに言えば柳楽優弥とか小栗旬がライバル作家的に予告編に出てきていたので早く作家バトル始まらないかなぁと思っていたら始まらないままエンドロールに入ってしまってこれも斬新。
全然そうは見えないが響は空前にして絶後の大天才作家という設定なのでそもそも作家バトルとか成立しないしバトル的なやつは殴るとか蹴るとかフィジカルに行われるのであったってなんだよそれ!
その肉体バトルだって別に本気でやらないからな。気に入らないやつがいたらとりあえず殴って正論ぽい台詞かましたらそれで相手折れるしそれ以上は追求しないから響。
そりゃあないよ。そんなんで済ますなよ。どうせ殴るなら相手が死ぬまで殴れやいや暴力は推奨しませんが! 推奨しませんが筋がさ、なんかもうキャラクターとして筋が通ってねぇんですよこいつ色々と! 全体的に!
その意味で響を取り巻く愚かな凡才大人作家どもの方が愚かなりに筋が通っている分だけ俺の目には魅力的に映ったというのは皮肉なところで、いつも錦糸町の名喫茶ニッチェで暗い顔をしている売れない中堅の小栗旬とか、いかにも甲斐性のなさそうな小物佇まいがキマりすぎているビッグマウスの新人・柳楽優弥とか、保身と嫉妬からアヤカ・ウィルソンにハイパーなウザ絡みをする堕ちた芥川作家の北村有起哉とか響よりそっちのドラマが見てぇよみたいな感じになる。
月川先生の持ち味であるキラキラの中の叙情というのも響に関わる本筋の部分というよかむしろそっちの方で発揮されていたんじゃないかとおもう。
チャリでなんか買いに行った響が通り過ぎた道路工事現場で作家一本では食えない小栗旬が黙って働いている場面とかちょっとグっときてしまった。
だがそんなすばらしい場面も結局は本を読みながらピョコピョコと足首を動かしたりする平手友梨奈の可愛らしさに掻き消されてしまったのでまんまとプロモの罠にかかっているし、可愛いはやはり正義なのであった。
問題はたぶん、正義はときに肉体に対する暴力も存在に対する暴力も伴う、本質的に野蛮なものであるということだろう…か?
※2018/9/22 すこしだけ書き足しました
【ママー!これ買ってー!】
見てないけどたぶんこっちのが面白いと思うよ、見てないけど
↓原作だそうですが
何でもかんでもバイオレンスで解決しちゃう響ちゃんの人格の掘り下げとかがないままに進むのは斬新だなぁ…とか思いながら見てたんですが本当に何もないままエンドロールが流れ始めたときは困惑してしまったので我ながらある程度は筋立てとか秩序とかそういうの重視してるんだなと自分の一面を再発見してしまいましたね。
多分2年前にこの感想文は流し読みしてるんですが、アイドルとか疎いので欅坂がどうとかはまったく気付かずに見てました。そう言われればプロモーション映画みたいに見えますね。ただこの主人公はプロモ対象の若者から見ても好感度高いような人物なのだろうか…と思いますが。確かにエキセントリックではあるけども…。
私もよく知らないのですが欅の楽曲世界とかでの平手のキャラ通りなんじゃないないですか、エキセントリックなの。まぁ、かっこいいといえばかっこいいですし、あとかわいいですし、かわいいですし、かわいいのでいいのではないでしょうか…平手友梨奈に説教されるつもりで見る「ありがとうございます映画」ということで…