《推定睡眠時間:0分》
始まってから40分ぐらい経って唐突に主人公の黒木華が「その頃わたしは彼氏と別れた」とか言って泣き出すんですけどそれまで全然そんな話出てこなかったから付き合ってたんだっていう驚きと別れてそんな落ち込むほどの存在だったんだっていうので二重の驚きがあったのですがこれはそういう映画で大事なものを大事なものとして物語の中で予め明示しないで、それを失ってから初めて大事なものだったことに主人公たちが気付く、また観客に気付かせる、という作り。
もう本当に実家の婆的な役柄で樹木希林、映画出まくってたじゃないですか。その時はうわまた樹木希林かよって思ってたんですけどたぶんたぶんこの後も晩年の出演作がいくつか公開されるんだろうとはいえ、もう今後は樹木希林の実家の婆が見れないんだなぁと思うと俺は別に樹木希林には思い入れとかゼロなのですがなんとなくしんみりしてしまうな、こういう作りの映画なので。
森下典子という人のエッセイを原作とする茶道の映画。ファーストシーンは家族で映画を見に行った小学校低学年ぐらいの主人公・典子が家に帰ってくるところ。
大学生になった典子(黒木華)のナレーション。「小さい頃に家族でフェリーニの『道』を見に行った。よくわからなかった。モノクロで、暗くて、なんたらかんたらで・・・」。
子どもの頃に親に連れて行ってもらった映画といえば東映アニメフェアとか映画ドラえもんとかスピルバーグの大作とかになる俺としてはどんなハイソな家族だよと思うが、それはともかく『道』というのは俺ごときが言うまでもなく身近な人間の喪失と残響を経験して初めてその存在を直視する男のお話なので引用が直球。
(茶)道に入る映画で『道』なのだから直球も直球である。代わり映えのしない不器用な芸で十年二十年と延々ドサ回りを続ける『道』のアンソニー・クインと来る日も来る日も同じ所作を繰り返す黒木華なので、芸人と茶人の違いこそあれそのへんも似たようなものだ。
野獣なアンソニー・クインと地味可憐な黒木華を同列に並べていいのかとは思うがそういうのは気にしない。
ストーリー。就活を控えた大学生の黒木華はひょんなことから(こんなにひょんとしたひょんなことは珍しいのではないかというぐらいな)お茶の先生の樹木希林に茶道を教えてもらうことに。
エッセイが原作なので物語らしい物語とかドラマティックな出来事とかは別になく淡々とお茶と時間が流れていく。それもなんか『道』っぽいといえば『道』っぽい感じであった。
それでその淡々とした同じ事の繰り返しの日々のいつかどこかで樹木希林が言うんですよね、私なんかもうこうやっていつも同じ事ができるだけで嬉しいもんで、みたいな。
少し声とか震わせてあざといまでの追悼感だったが撮る側は別に追悼のつもりで撮ってるわけじゃないんだから台本とか芝居とか超えてちょっと本心出ちゃってるんだろうな樹木希林。
そういう映画は悪く言いにくいのでずるいという気もするが悪く言うところも特にない良い映画だったのでなんかよかった。
おもしろいのはユーモラスな雰囲気の中にも結構緊張感がある。台詞回しとか自然な感じでエチュード的な緩さなんですけど、茶室に入るとやっぱ空気ピンと張りつめて。
樹木希林そんな厳しい先生とかじゃないんですよね。っていうかいつもの実家の婆的な感じなんで怒ったりとか基本しないんですけど、ふとした瞬間に怒ってはいないんだけれども叱ってるわけじゃないんだけれども声のトーンが鋭くなることがあって、うわこえぇって。うわ裕也をいなしてた人パネェってなる。
だから黒木華が樹木希林の前でちょっと作法ミスったりするとかなり焦りましたよね。俺にとっては『クワイエット・プレイス』よりクワイエットしてましたよあの茶室。
もう黒木華が本当に不器用なものだから・・・よく見たら目つきもちょっと怖いからな樹木希林。目の奥全然笑ってないですよね。その目でじーっと見られながらお茶やるんですよ。
最初はいとこの多部未華子と一緒にお茶教室通ってたんですけど多部未華子が旅行で教室休んじゃう時があって。
それでその時に黒木華うわぁ一人で行きたくねぇなぁサボっちゃおうかなぁってなるんですけど超その気持ちわかりましたね。
樹木希林とタイマン稽古はきついよ。行くな行くなって思いましたもん見てて。ホラー映画で登場人物が絶対に殺人鬼の潜んでる小屋に入っていくシーンみたいなハラハラ感で。
でもそういうことを黒木華は意外と何十年もなんとなく続けてしまう。すると不思議とちょっとおもしろくなってくる。水の音。水の音とお湯の音は違う。雨の音。梅雨の雨と秋雨の音は違う。味、色、匂いも違う。
同じように見えていた景色にはその都度めちゃくちゃ微妙な差異があって、同じような景色は二度と来ないんだなぁとか思うようになっていく。『道』の最後でアンソニー・クインが辿り着いた境地とたぶんこれは一緒。
俺は性格的に繊細な方ではないのであんまりそういう感動は共有できなかったのですが、同じように見えるものの微妙な差異をたおやかに掬い上げていくところ、おもしろかった。
それは音の使い方とか画の見せ方もそうだし、ハタチの茶道たまねぎ剣士からアラサーの下位ジョブマスターまでをグラデーション豊かに演じ分けた黒木華もそうだし(いやこれが見事なのですよ)、黒木華の父親の鶴見辰吾も、それから樹木希林もそうで。
丹精込めて作ってる映画なんだなぁって感じで、だから喪失の形もクッキリ浮かび上がるってもんで、あぁやっぱ樹木希林の存在ってでかかったんだなぁとか、土屋太鳳が少女漫画原作映画で女子高生役やってるの見たりするとまたかよwwwって思ったりしますけどあれも土屋太鳳が女子高生役を卒業しちゃったらちょっと寂しくなるのかなって、イイ話っぽく終わろうとしたら変な路地に突っ込んでしまった気もするが、なんかそんなことを考える映画でしたね。
【ママー!これ買ってー!】
『日日是好日』を見てる時に近くの席のご婦人がおそらく黒木華を指して地味な顔ねぇみたいなことを仰っておりましたが『道』はジュリエッタ・マシーナが美人の顔面象限には決して入らない面白いの顔面象限の人であったから不朽の名作たり得たに違いないので黒木華も地味な顔で別にいいんです!
↓原作らしいが
こんにちは。茶道もかじってて原作も読んでて、映画化楽しみにしてました。所作の監修がきちんとされているように思いました。袱紗捌きはできるようになりましたが、お水とお湯の音が違うなんてアタシ気づかなかったわ…という自分に喝を入れました。
「(茶)道」と「道」かあ!あははは!あれは救いのない映画という記憶しかないので腑に落ちんかったのです。
樹木希林さんは、息も絶え絶え、と感じられて、少し辛かったです。
でも、見てよかったです。
袱紗捌きはもう見てるだけで絶対覚えられなそうな気がして何も習わないうちに挫折したのであれできんのすごいっすね。茶碗に向かう時の角度がどうとか超無理です。見てる分にはおもしろいんですけど。