【写美】『マジック・ランタン 光と影の映像史』に行ってきた

《推定ぶらぶら時間:45分》

マジック・ランタンというのは現代のプロジェクターの原型に当たる簡易な映写装置だそうで、様々なバリエーションがあるらしいが箱の中にランプ入れたり鏡で外から採光したりして、レンズの前に嵌められたスライド絵をスクリーンに投影する。

比較的小さい会場の入り口にはそのレプリカというか、触って遊んでいいマジラン(機構は単純なので仕組みさえ知っていれば結構すぐに作れる)と、これはどちらかと言えばエジソン作の映像をスクリーンに映写するのではなく箱の中に映し出して覗くタイプの映像装置・キネトスコープの源流かもしれないが、ゾエトロープというものがポツンと寂しく置かれている。

ゾエトロープというのは内側に連続したいくつかの絵が描かれた円筒板とそれを回転させる台座から成る装置。それぞれの絵はスリットで区切られているので見た目的には短い映画フィルムをアルミ板に巻いたような感じ。
円筒を回転させながらスリットから中の絵を覗くと絵が動いているように見えるので元祖アニメーション。これも簡単に作れるので自由研究ネタに使えます。

で、どんな展覧会かという東京都写真美術館所蔵の貴重な実物マジランの数々を見ながらプロジェクション技術の変遷を時折脇道に逸れたりしながら追っていくプロジェクション小論といった感じ。
マジランの発明者は未だよくわかっていないというぐらいなので一応歴史に沿った展示にはなっているが、たぶんまぁスペースの都合もあってあんまそのへん重視されず、会場の一番奥は急に現代に飛んで小金沢健人という人のビデオ+プロジェクションのインスタレーションの部屋になってたりする。

プロジェクション技術の変遷というか、プロジェクションがどう見られてきたかとかどう使われてきたかとか、感覚的には観客のプロジェクションに対するイメージや願望の変遷を見ていくような側面が強かったかもしれない。
学術研究から教育啓蒙から戦争の補助兵器まで様々な用途に使われたマジランの代名詞的なファンタスマゴリ(暗い部屋にマジランで幽霊や悪魔の類を浮かび上がらせる見世物興行)の紹介から展覧会は始まるが、最後に展示された小金沢健人の作品というのはプロジェクションで死者を呼び出す現代版ファンタスマゴリなんであった。

そうかー、ホラーは映画が生まれる前から映画の花形だったのかー。人がザクザク死ぬ映画ばかり見ていると倫理観とか疑われそうな気もしますが、ホラーこそ映画の原点なのでむしろホラーを見ることは学術的な営為ですとこれからは力強く言っていこう。

個々の展示でおもしろかったものをいくつかメモってきたので書き出してみる。
戦争の補助兵器に、というのはジョン・ハワード・アップルトンの『初心者のための科学手引』なる本の挿絵かなんかのキャプションに書いてあったことで、なんでも普仏戦争の際には伝書鳩が通信手段だったがそれを最大限活用するためにマジランの出番となったらしい。

こう、手紙とか写真とかをマイクロチップにして伝書鳩にくくり付ける。で、届いたマイクロチップはそのままだと読めないのでマジランで拡大して解析するんだと。
なんかすごい。かっこいい。スパイ映画みたい。なんでこれ映画にならないんだろう。映画になっても地味過ぎるとは思うがでも見たいぞその光景・・・という一方で20世紀に一般化する映画の政治利用・兵器としての映画の片鱗が早くも見え、まあむかしから偉い人の考えることは変わらないものだねぇとかもおもう。たいして昔でもないですが。

それからこれはマジランというかマジラン時代のプロジェクション文化・イメージを伝えるものですが影絵で遊ぶ人々の絵が何枚か展示されていて、その一つが作者不詳の『トレウィーの手影絵』。
トレウィーというのフェリシエン・トレウィーなるフランスの芸人(手影絵が十八番だったらしい)だそうで、この絵はその肖像を囲うように手影絵の型が描かれた図解みたいなものだったのですが、どっかで似たようなの見た気がしてシエンいや思案を巡らすと思い出しましたよジョニー・トーのギャング選挙映画『エレクション』の、たしかカンヌ出品時に作った裏社会ハンドサイン・ポスターがこういうデザイン。

なにか、ジョニー・トーの映画の遊び心と幻惑感の下地が見えたような気がして面白かったなぁ。
っていうかそういう場面見たような薄ら記憶があるんですけどなかったかですかね、ジョニー・トーの映画で登場人物の裏社会人が手影絵で遊んでるやつ・・・。

映画のゴッドファーザー的なリュミエール兄弟の手がけた短編映画集は『リュミエール!』の題で昨年に写真美術館で公開されたが、展覧会ではマジランのその後の展開(つまりシネマトグラフ、映画)としてリュミエールの短編がいくつか参考展示的に映写されていて、そのスペースにシネマトグラフ興行を描いた風俗画だかなんだかもリュミエールの興行ポスターと一緒に飾られていた。

モチーフはどちらも同じで例の『列車の到着』。たいへん興味深いかったことには前者の風俗画みたいなやつ、客席に向かってくる汽車に驚いて席から転げ落ちたり逃げ出したりする客が戯画的に描かれていたのですが、作品リストを見るとこの絵は1896年のものとあるから『列車の到着』公開当時の作。
よく都市伝説だったとかなんとか言われたりするが観客の仰天反応ですが、この絵が事実に即しているかどうかは別として、そのようなイメージがどの程度の範囲と強度でかは知らないがシネマトグラフに対して持たれていたっぽいということが分かるのだった。

後者のリュミエールの興行ポスターで目を引いたのはこちらの紳士淑女な客たちは驚くことなく優雅に汽車を眺めているが、その汽車のレールが少しだけスクリーンを飛び出して客席の方に伸びてきているところ。3Dですよ、3D!
なんでもリュミエール兄弟は3D映画の実現にもたいへんな関心を示しており、1935年には3D板『列車の到着』を制作したとかなんとか検索すると色んなところに書いてある。

このポスターにどの程度リュミエールの意向が反映されているかはともかく、オリジナル『列車の到着』の頃から3D映画の構想か、あるいはイメージぐらいはあったんじゃないかと思わせて、なんかもうマジランとか関係ないが映画史的ロマンにじんわり浸ってしまうのだった。

ロマンといえば。展示されていたいくつかの絵画はマジラン興行師が背中に大きなマジランを背負って巡礼者か行商人さながらに各地を旅する姿を伝えており、なんかどれも妙にうら寂しい・・・興行の祝祭感を感じさせない絵になっているのが可笑しかったが、これもなんとなくロマン。
その光景に『百年の孤独』のジプシー一座とか異端の映画作家・渡辺文樹の巡回興行(なぜそれを並べたのか)を連想したりするがそういう、いかがわしさや不気味さと表裏一体のマジランの密やかな愉しみというのはシネマトグラフの時代には姿を消していくものだ。

会場入ってすぐのところに映写されているファンタスマゴリの悪魔?の絵は恐ろしいといえば恐ろしいがユーモラスといえばどことなくユーモラスで、それと対になるように配置された小金沢健人の『よびつぎうつし』では様々な人の亡くなった家族だったり憧れの人だったりの幻影が映し出されるが、マジック・ランタンと静止画プロジェクションはそれとは対照的な動的エキサイティンッ!や共感的エモーションに溢れた大衆芸術たる映画と並走しながら、そのように私的で親密なものを今でも密かに保ってるんであった。

いろいろ発見も脱線もあってたのしいよい展覧会でした。

【ママー!これ買ってー!】


まんが道(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)

一巻か二巻のどこかにマジラン(幻灯機)の作り方が図解で載ってるはずなのでという理由でリンクを貼るのは強引すぎないかとは自分でも思いますが。

↓図録


マジック・ランタン

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