《推定睡眠時間:20分》
気を遣って仄めかし的に書くとかえってネタがバレちゃって興ざめになりそうなんでネタバレ配慮完全ゼロで行くが20分ぐらいは寝てるからネタバレになっていない可能性もあり不確定性によるネタバレ配慮というネタバレ感想の新領域。
本当は単に寝ていてどんな映画かよくわかっていないだけだがそのように迂遠な表現を採用することでなんとなくちゃんとした感想に見える。かもしれない。
ちなみに結論から言うと俺はあんま好きではなかった。すごい叙情的な映画で、すごい感傷的な映画で、あとすごい甘い。
俺は甘い物は消化不良を起こしてしまうからあまり食べられない。もう無理だった。映画開始10分ぐらいに待ち受けていたルーニー・マーラとケイシー・アフレックの長い長いノンエロティックな親密ベッドシーンで全俺は死んだ。
ダメなんですよ本当に、「愛…」みたいなシーン。「愛!」みたいなシーンは全然オッケーなんですけど三点リーダ付いて「愛…」になると本当にダメなんですよ。
わかりますかね。どうせわかんねぇよないいよわかんなくて。とにかく、もう辛くてしょうがないんだ俺はそういうのが。
それは必ずしも恋愛に限った話ではなくて、相手が誰であれ親密さの経験というの今までの人生でまったくないから。
まったくないし親密の輪の中に俺を引き込もうとする流れにごく稀に遭遇すると全力でその流れと逆方向に進んできてしまったから。
誰も入ってきてほしくないんだよ俺の世界に。でも俺の見える世界に誰もいないと寂しいから誰かがいて欲しいんだよ。
お前ら(誰?)わがままって言うかもしれませんがどうしようもないんだって、そういう性分なんだから。世界と関わりたくはないけどただ見てはいたいっていう人はいるんです。
というわけであのベッドシーンの親密が、当たり前のように提示される親密が苦痛で苦痛で仕方がなかったと重ねて言っておく。
もうとにかく、わざわざそう書かないと整理がつかないほど俺はあの場面が苦痛だったんだよ、いや本当に。
さてその親密が突如として終わりを告げる。ケイシー・アフレック事故死、布被った地縛霊として二人の家、というか場に取り憑く。
オバケにゃ試験や学校だけじゃなくて時間の概念もないらしいのでルーニー・マーラが引っ越した後もオバケイシーはその場を訪れる様々な人々を観察、ふわふわとその場の未来を見たり過去に行ったりもする。
あまりこわい映画ではないがその中で各種オバケ現象を絵解きしていく一種ホラーミステリー的な趣もあった。
ポルターガイスト現象ってなんで起るんだろうと思ったら感情が高ぶったオバケイシーがジョジョのスタンドみたいに皿とか投げてました。そうだったのか! ガッテン。
未来とか過去とか行くぐらいなのでなんかスケールでかい感があるが、お話は親密な空間から完全に閉め出されて傷心憔悴のオバケイシーがどのようにして成仏するかというところに落ち着くのでむしろミニマル。
最終的にオバケイシーは死と裏表の親密さの可能性を再確認することでなんか納得して煙のように消えるんであった。
自分はもうその親密さの中には入れないけれども、そういうものは確かに時代を超えてこの世に存在するのだ。その顕現がルーニー・マーラが壁のスリットに隠した一片の紙切れだ(あぁ、甘ったるい…)
親密な空間の中に居る人はそこから出るとこんなに大変なのかとおもう。未来行って過去行ってプラマイ100年ぐらいの無限(有限じゃないかとは言わないでほしい)の一瞬を経ないと親密の喪失から脱出できない。たいへん。
オバケイシーにとって時間を超越した彷徨は傷心と成仏の旅だったが俺にとってはわくわくとまでは言わないが、やっぱり見ているだけの方が楽しい派なのでSF的時間旅行みたいな感じで、導入部こそ辛くて辛くて仕方がなかったがそこからはむしろ楽しかった。
いいんじゃないかとおもう。場所を移動できないのは非常に痛いが、気の向くままに色んな時代や色んな生活を無責任に傍観できたらたのしい。だいたい映画ってそういうもんでしょ。
まぁでもオバケイシーは傷心なのでどんな見知らぬ光景に接してもなんの感動も興味もなくパックマンの敵みたいにふわふわ通り過ぎていってしまうわけですが。
角丸の8ミリフィルム的なフレームは同じような手法を採用した木下恵介の映画がそうであったようになにかしら郷愁の念をかき立てるのでそっからしてもう甘い。
生真面目な長回しはそこで生を営む全ての人々に対する慈しみに溢れ…とか一応書いてるが心は全然こもってない。だって知らない人を愛情を込めて見ることなんてできないので俺は…しかし映画はそういう調子なのだった。
愛情は好奇心を殺す。親密は探究を断念させる。ダメだやっぱ苦手な映画だこういう内省的な叙情詩みたいのは。息が詰まる。
オバケイシーはその限られた領域から出られないことに苦しむのではなくてその領域の時間的な中心に入れないことに苦しむし、透明なカメラも澄んだ空気感の音楽もそれに同調するが、俺としてはその根源的な他者不在の狭い領域の外にこそ面白いものはあるんじゃないかと思うのだ…要するにオバケイシーとカメラが通過していく、他者と見知らぬ世界の存在そのものに。
【ママー!これ買ってー!】
オバQ感がないとも言えないオバケイシーだったので空気も読まずにすかさず貼る藤子・F・不二雄漫画リンク。
藤子・F・不二雄先生の短編SF、とくに時間SFはどれも素晴らしい出来映えで、この映画の関連でいえば情感あふれる名編『ノスタル爺』も似た感触があるが、やっぱこの巻に収録の壮大な『老年期の終わり』が題材的に近いようにおもう。
人類の過去と未来と生と死をたかだか40ページ程度で描き切った藤子SFの傑作。