《推定睡眠時間:0分》
絶賛(かどうかは知らない)公開中の『かぞくいろ-RAILWAYS わたしたちの出発-』でどこまでも理想の夫的な善キャラだった青木崇高が今度は底知れぬ邪を宿した悪キャラに! なんか本シナリオとクリア後サブシナリオでキャラが違いすぎる『かまいたちの夜』の美樹本みたいな感じである。
その青木崇高と不倫している黒木華が勤めているスーパーの店長は伊集院光だったが伊集院光は1996年の『スーパーの女』でスーパーの平社員だったのであれから二十余年、ついに店長まで上りつめたんであった。
黒木華の夫の妻夫木聡は主人公と見せかけてメインキャラの中では一番最初に死んでしまう。ショック! その死に様ときたら…その死に様ときたら…まるで『スウィートホーム』の古舘伊知郎。下半身バッサァの内蔵でろ~んなあれです。
遊んでいるな。これは確実に遊んでいるな。そのようなネタがたぶんきっとふんだんに詰まってるんじゃないすかねこれ。
プロット自体はわりあいよくある祟り神というか諸星大二郎の漫画とかに出てくる異界の鬼?みたいなのに目を付けられちゃって大変だみたいな類いのやつだったとおもうが、そんな風に間断なくいろいろ遊ぶので、たくさんネタ詰め込むので、やたら脇道逸れまくるので、どこに向かってんだか皆目わからんが何が起るかもわからずグイーっと最後まで目がスクリーンに釘付けになってしまうドライブ感があった。
面白いなこういうの。ダニー・ボイルみたいに場面転換の激しい時系列操作系のパズル編集も堤幸彦系統の禍々シュールなイメージ映像の乱打もかなりテンション高め。
意外と物理的に襲ってくる鬼的な存在のおかげで血糊多量。景気よくぶーぶー血ぃ吐いたり腕とか下半身とかバシンバシン切断したり最後はすわ『シャイニング』か!みたいな血の洪水がブワッシャァです。
こんなパンキッシュな映像には否応なしに高揚してしまうよ、気分。無駄に女子高生がはしゃぐ姿とか映し出されるしな(絶対いらないだろ)。
よかったよそうなって。最初30分ぐらい見ながらこの薄っぺらい人間どものけったくそ悪いペラ群像が最後まで続いたらどうしようってハラハラしてたから。
小松菜奈の霊能キャバ嬢が出てきたあたりからは一気にギア上げてくる。ペラいヤツとか雑魚いヤツはどんどん死んでいくので心の中でガッツポーズ。そうだ! 殺ってしまえ!
まぁそのような昏いこころが魔を招き入れてしまうという話なのですが(映画からなにも学んでいない)
しかしそれにしてもケレン全開で2時間超えを一切感じないくらいに一気に見てしまう映画だったが改めてストーリーの流れを整理してみると結構込み入っていた。
まず妻夫木聡がいる。映画はこの人をとりあえずの主人公に据えて始まって、そこらへん曖昧なのでなにあったか知らないが、どうも妻夫木さん子どもの頃に鬼的な異界の存在に触れてしまった。
そんなことはすっかり忘れて幾歳月、黒木華と婚約したか籍を入れた妻夫木聡がたいへん久々に岡山だかの実家に戻るとふと、忘れていたはずのその記憶が去来した。
鬼的な何かは妬み嫉みに恨み辛みに、みたいな負の感情に憑くらしい。で、どうもそれは人から人へ憑いていく。
妻夫木家での盛大かつ内輪メンタルな関西的洗礼は恵まれない子ども時代を送った黒木華には大ストレス。
というわけでそこで、その例の何かが黒木華に憑いてしまって(具体的には描かれないが妻夫木祖母が何かの存在を感知した庭を黒木華もボーッと眺めていたので)結婚と同時に惨劇が幕を開ける。
ところで見てる間はそこらへん特になにか思うことはなかったが今こうやって整理してて思ったのですがあれだな妻夫木聡、ひたすら薄っぺらい総てが上っ面だけの糞パリピみたいな人で嫌悪感パネェかったんですが、あれたぶん無意識的にその何かが来ないようにしてたんでしょうね。
無理にでも明るく振る舞って精一杯虚勢張って良い夫と良い家庭を必死に演じて、例の何かの温床になる負の感情を退けようとしてたんだなぁと思うとなんか急に切ねぇ。
そんなことは妻夫木本人だって知らないので妻の黒木華なんざ輪を掛けて知ったこっちゃなく、育児も手伝わないで娘自慢とか育児ブログなんかで現実逃避してやがって的に夫ヘイトを溜め込んで例の何かを家に呼び込んでしまうが、お互いそのことに気づけていたら誰も死なずに済んだかもしれないわけだ。
松たか子と小松菜奈の霊能姉妹の言う家族に優しくしろとか、妻夫木聡が家事育児そっちのけで熱中する嘘だらけの幸せ家族ブログも案外鬼除けの役に立ってたのかもしれないとか、こういうのはなにか仄めかし的な台詞と思えてそのまんまな意味しかなかったんである。
表向き現代批判というかパリピ文化批判みたいな印象も受ける家庭崩壊劇だったけれども、鬼に憑かれるぐらいなら薄っぺらくてバカでつまらないパリピでいる方が全然マシなんだ的な思想をアンテナをねじ曲げて強引に受信すれば、物の分かった連中のありきたりなふんぞりかえった文化批判に対する批判として、その薄っぺらい文化と安っぽい現代人の生を力強く肯定する映画が『来る』だったのかもしれない。
そうと思えば映画のラストがいかにも安っぽいクリスマスの風景だったこともなんとなく合点がいくんじゃなかろうか。
さてこころに鬼(的な)を宿した黒木華は周囲に鬼を振りまいていく。娘に鬼を、夫に鬼を、不倫相手に鬼を、あとかなり巻き添え的に夫の部下にまで鬼の種を植え付ける。鬼パンデミックである。
これはもういかんというので色々あった末に妻夫木・黒木夫妻の住んでいた分譲マンションが閉鎖されて鬼送りの儀が執り行われる。
その頃には妻夫木聡も黒木華も鬼毒にやられてビューティフルな噴血死を遂げているし鬼っ子の二人の娘は失踪してしまっているのでなんとなく辻褄が合わないような気もするが、その場を鬼送りの地に選んだ最強霊能力者・松たか子が小松菜奈と恋愛関係にあった狂言回し的ルポライター・岡田准一に同席を求めたことを思えば、あれは鬼に感染した岡田准一を治癒するために必要な場だったんだろう。
オールウェイズ無関心と平静を気取る岡田准一(そして小松菜奈)も妻夫木家の除霊に携わる中で根の深い負の感情に目覚めてしまったんであった。
というわけで松たか子プレゼンツな鬼送りの儀ですがここは燃えたなぁ。応援が必要だっていうんで沖縄から琉球シャーマンのユタ婆連中がべちゃくちゃべちゃくちゃ喋りながらやってくる。ユタは知らないが恐山のイタコなんかはめちゃくちゃ陽気に喋り倒すらしいと民俗学者兼写真家の内藤正敏の写真で知った。
で深刻ムードに反する婆どもの愉快に笑っていると婆ども、車移動中の怨念事故で全員再起不能に。その知らせを新幹線で鬼パンデミック感染源に向かっていた関西霊能者連合が受け取った。
「こりゃあ、別行動の方がいいかもしれんぞ。誰か一人でも辿り着いたら御の字やろ」霊能爺どもはおもむろに立ち上がると、各々別方向に歩き出すのであった。
糞かっけぇじゃねぇかなんだよそれ。死を覚悟で感染源に向かうプロの矜持と色気、これもうパニック映画とかに出てくるレスキュー隊とか特殊部隊的なやつじゃない。
爺どもがカプセルホテルで法衣に着替えるところとか最高だな非常事態感出てて。おかしな光景が全くおかしく見えないのすごいぞ。なんか急にパニック映画っていうかリアル系の怪獣映画みたいになったよ。
それでいよいよ鬼送りの儀が始まって…気付いたら3000字とかになっているので鬼送り超盛り上がったとだけ書いて以下省略で感想締めますが、いやおもしろい映画でしたね。
最初は遊びで中オバケ、サイコホラー経由で最後は怪獣、ちょっと『インセプション』というかフィリップ・K・ディック系の現実崩壊要素あり。
なんてカオティックなミクスチャーホラーと思たらどっこい人間ドラマに一本筋が通っていた。
それをあれこれ好き勝手に読み解くのも面白いし、映像と音の流れに身を任せるだけでも満腹。色んな楽しみ方と取っかかりがあるレゴブロックみたいな映画だとおもう。
俳優の人もすげぇ良いしね。底が劇的に浅い妻夫木聡の糞パリピっぷり、人妻が板に付きすぎている黒木華のなんとも言えない艶っぽさ、岡田准一のやさぐれ感…とかも良かったが一番びっくりしたのは柴田理恵の霊能力者で、とくに後半は松たか子を筆頭にプロ霊能関係者が異様に輝く映画だったが、中でも柴田理恵は眼力が半端なくて超カッコ良かったです。これが功徳の実証か!(そういうことは言わない方がいいとあれほど…)
【ママー!これ買ってー!】
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憑きもの映画なので内容的にも共通するところがあるが、なにより後半の異様なハイテンションが『来る』と近かった。
↓原作と、それから特に関係はないが…
見るか迷ってたんですが、参考になりました。
鬼を振りまくか、、、なんか気になるので、観てこようと思います。
知らずに見るとびっくりするような部分とかは結構ネタバレで書いちゃいましたが…でも楽しいといいですね!
予告編見たときからずっと観よう観ようと思っててやっと観れました。
このカオス感というか雑煮感は素晴らしいですね。こんなに色んな要素をぶっ込んじゃうとグダグダになりそうなもんなのに大事なストーリーというかテーマというかは一本筋が通ってて基調となるラインがあるのがすごいなと。中盤から後半にかけて物語の語り部の視点が大きく変わる部分の乗り換えがショッキングさを優先したのかちょっと雑かなとも思ったんですが見終えると一貫したテーマはぶれていなかったなと感心もしました。まぁ個人的には真っ二つの妻夫木という珍しいものが見れたのでそれだけでも満足ですが。黒木華は『リップヴァンウィンクルの花嫁』でもそうだったけど、普通の妻になろうとする(けどなれない)女性という役柄がもうヤバいくらいにハマりますね。
中盤以降は松たか子が画面に出てくるようになってからがガンガンギアが上がってくる感じで最高なんだけどあの完全に浮いているというか虚構の、もっと言えばマンガ的なキャラクターとして描かれている松たか子は無理な人は無理なんだろうな。俺としては彼女のキャラクターによってこの映画をどう受け止めるべきかという肚が決まった感じなので最高に好きなんだけど隣のおじさんはその辺りから寝てましたね。いや前半寝ててもいいからここから起きろよと思わなくもない。記事にもあるようにカプセルホテルのお着換えシーンとか熱くて格好良くてでも背景のギャップで笑える最高のシーンだし、最終決戦を目前にした柴田理恵が公園のベンチからすっくと立ちあがって例のマンションを見上げるシーンとか完全に少年漫画のノリじゃねえかと大興奮ですよ。中華屋での借りは返すぜみたいな柴田理恵の格好良さはヤバかったね。
あとやっぱ諸星大二郎先生風味は感じますよね。帰りの電車内でこういうアゲアゲなノリで諸星作品を映像化したら面白いんじゃねとか思ったけど悪霊と積極的に戦う稗田先生とかはやっぱキャラが違い過ぎるなとも思いました。
アゲアゲな諸星映画化作品といえば塚本晋也の『ヒルコ』があるではないですか! いや、でもあれも原作との違いで賛否両論すね確かに…じゃあ『奇談』ならいいのかと言うと『奇談』は映画的にそんなに面白くないから諸星大二郎作品の映像化は難しい…。
『来る』は稗田ものだと『闇の客人』が絵面的に近い感じですね。いま自選集読み返してて気付きましたが、『闇の客人』は造られた祭りが呼んでしまった魔を本物の祭りを知る者が追い払うという構図、対して造られた祭りと胡散臭い祭司で魔を追い返すのが『来る』、意図的なものかどうかは分かりませんが、ちょっとこの関係性は面白いですね。
やっと同じような感覚の記事を見つけました。
そう、諸星大二郎氏の作品と同じ感覚なんですよ。「闇の客人」に出てくる鬼?と同じようなイメージを持ちました。足跡なんかに虫もあったりしたし。
この映画も怖いとかそういう感覚ではなかったんだけど、面白かったです。表現がうまいなあと。ラストのお祓いシーンもゾクゾクしました。
素晴らしい記事を読ませていただきました。ありがとうございました。
やっぱ諸星っぽいですよね