《推定睡眠時間:0分》
想像していたよりも遙かにインドだった。いやインド映画だからインドなのは当たり前なんですが、もう、なんていうか、インド。すげぇインド。
どこがインドってまず固有名詞が基本的にわからない。インド人なら当たり前っしょ的な対パキスタン(ムスリム)感情がわからない。
いくつかのシーンはおそらく印パの間で起きた実際の事件や出来事を反映しているんだと思いますが、それがなんなのかがわからない。
パンフレット買えばよかったかもしれないなぁ。このインドは前提知識として必要なインドで、いやたとえば『バーフバリ』みたいなファンタジーとか史劇ならわからないなりに世界観の一部として装飾的に受容できるわけじゃないすか。
でもこれそういうファンタジー変換できるインドじゃなくてリアルとドラマに直結したインドだから、知ってると知らないとでたぶん映画の見え方かぁなり違うよね。
途中インターミッションが入らないからインターナショナル版なのかなぁと思ったのですが、インターナショナル版(だとして)でこのイン度。
いや面白かったし泣いてしまったんですがインド事情をざっくりとでも頭に入れてから見直したい感じはちょっとありますね。
印パの近現代史とか宗教とか言語とか。ナショナリズムがテーマに絡んでくる映画なので(インド映画なんて大体そうだと思うが)使用される言語なんていうのは映画を理解する上で非常に大事なポイントなんでしょうが、ヒンディー語もウルドゥー語もまったくのゼロ知識であるから完璧にそこ捉え損なってるわけです。
とはいえそんなもんわからんでも全然見れてしまう普遍性を核に持った映画というのも確か。
映画はこのようなお話だった。某ハイジがブランコを漕いでそうな壮麗な景色の広がるパキスタン山奥の貧乏村。
シャヒーダーと名付けられた少女はその澄んだ空気を全身に浴びてすくすくと育っていたが、九死に一生的な事故でメンタル破損、心因性喋れない病になってしまう。
これでは勉強に支障が出ちゃって困るなぁっていうんで、母親はインド側にあるイスラムの聖地なんちゃらモスク(ここは印パ版のエルサレムみたいになってるらしい)にシャヒーダーを連れて行く。なんでもそこでお祈りすれば病気が治るんだとか。
さてそこまでは良かったが。帰りの列車で母親、シャヒーダーとはぐれてしまう。なおかつそのまま母親だけ列車に乗って国境を越えてしまい、なにせ貧乏村だからもう一度インドに戻る旅費も出せない。
異国にたった一人取り残されてしまったシャヒーダー。そこに現れたのがバンジュラギおじさんであった。
おじさんというがバンジュラギさん、そのへん原語がわからないのでなんとも言えないが、おじさんというよりはお兄さんという感じであった。
俺の狂った表現力で描写すれば大川宏洋に戸愚呂弟の能力を持たせて筋肉100%中の30%にしたようなナイスガイである。
そのバンジュラギおじさんは熱烈なハヌマーン信者。お猿の英雄ハヌマーン…これもゲームの『真・女神転生』とか『ペルソナ』でしか触れたことがないからインド的ポジション及びどんな神様なのか知らないが、メガテンではラストダンジョン2つ手前ぐらいでようやく仲魔にできるようになるぐらいの高レベル悪魔だったから、きっと人気がある神様なんだろう。
とにかく、バジュランギおじさんは街中で猿を見かけると思わず手を合わせてしまうぐらいの熱烈信者。
そのエピソードが示すようになんていうか正直で一直線な感じの人で、迷い子を拾ったからにはなんとしても親元に届けないとの義務感がはたらく。
かくしてバジュランギおじさんとシャヒーダーの旅開始。道中に立ちはだかる国境とか宗教とか言語の壁をハヌマーン魂でぶち破っているうちになんか国を揺るがす大事になっているのだった。
おもしろかったのはこれバジュランギとシャヒーダーがインドにいるうちは色彩乱舞し歌い踊りみたいなインドルールで映画が進むんですけど、パキスタンに入ってからはそういうのが無くなって擬似的なパキスタンルールで進んでいく。
インドでは無敵のバジュランギもパキスタンでは力を発揮できない。インドで正義だったものはパキスタンでは正義ではなくなる。色の踊るインドに対してパキスタンでは色は穏やかに調和する。
バジュランギ一直線な人だから最初それに戸惑うんですが、段々そこにはインドとは別の考え方とか物事の進め方があるんだと気付いていく。
イイ話っすよね。これはシナリオがよくできていて、前半のインド編だけ見てるといかにも愛国的なところがあるんですが、これがある種伏線になっていて、後半のパキスタン編はインド編で描かれた出来事を裏返していくような構造になっていた。
物語の中心には三つの課題があって、一つはシャヒーダーの声を取り戻すこと、もう一つはシャヒーダーを家に帰すこと、最後の一つはバジュランギがシャヒーダーを送り届けて家に帰ること。
でこれらの課題を通して印パの対立関係を描きながら、その解決を通して印パ友好の大きな図を浮かび上がらせる。
クリケットの試合がシャヒーダーとパキスタンを繋ぐキーとして出てくるのですが、バジュランギが身を寄せる家の男の子は自国の選手ばかりを挙げて知ってるかとシャヒーダーに訊ねる。シャヒーダーは首を横に振る。すると男の子はクリケット知らないのかって言う。
スポーツの持つナショナリズムとの親和性と、反面の国境や言語を越えた融和の可能性が端的に、物語と有機的に結びつく形で表現されていて、全体的な構成の巧さもさることながらそういう細かいところまで気の利いたシナリオだなぁって思いましたね。
バジュランギが居候している家の親父のブチ切れ演技、最高。出てくる人間は善人ばかりではないが憎めない奴ばかりのヒューマニズム。これも最高。
わりとブラック方向を攻めるユーモアは笑えたし、最後はデミル映画的スペクタクルで圧巻の雪解け…とまでは実はいかない印パの距離感を感じさせるもので、でもそれが逆にバジュランギとシャヒーダーのささやかな友情の尊さを強く印象付け、これまた最高でありました。
インド的にくどいけどね。あと基本インド寄りではあるんですけど。まぁでも、とりあえず隣国なんですから仲良くとは言いませんが喧嘩はやめてお互いを理解しましょ的な素朴なメッセージの普遍性はそのインド性を越えて、響くものがあった。
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こんにちは。見てきたばかりです。
イン度、高し!
と言えるほど沢山見てはいませんが、王道でした。あんなん、泣きますよ、ずるいです。うぉーん。
『英国総督 最後の家』で、私恥ずかしながら、インドとパキスタンの事の始まりを知りました。計り知れない深い因縁が、続いているのだと思います。インドではあんまりナンを食べないって聞いたけど少女にはナンを勧めてたなあ、とか些細な事でも分かると楽しめますね。
それにしても、パッドマンといいバジュランギといい、ああいうタイプは人気なんでしょうか?
つい昨日だかにカシミール地方で自爆攻撃があって印パ関係悪化っていうニュースが流れてきたので根深いなぁと思いつつ、こういう映画の意義は大きいなぁとかも思ったりしました。
あぁいうタイプは…俺もあんまりインド映画観ないんでわかりませんけど、裏表のない頼れる兄貴みたいな主人公ばっか出てくる印象は確かにありますねぇ、インド映画。
俺はロリコンじゃないけどおっさんと少女のコンビものが好きでロードムービーも好きで地理的にはちょいずれるけど中央アジアも好きでと刺さりまくりの映画でしたね。
2月の頭に観てからずっとこの映画のこと考えてる気がする。
観てから数日たつとパキスタンの刑事のおじさんは散々拷問した後にやっぱこいついい奴ですよってなるのはちょっとずるくね?と思ったけど劇場で観てるときは何かもう全編にエモーショナルなので全然気にならない凄みのようなものがあったな。あんなん泣くわ、てなるよね。
あと親父も警官もかなり軽いノリで他人の顔を打つのもちょっと笑える。
個人的にはモスクの爺さんの格好良さもやばかったなぁ。ジジイが格好いいのはいい映画です。
親父のビンタからの死亡の流れはめっちゃ笑いました。殴るとか殴られるとか憎むとか憎まれるとか死ぬとか死なれるとか、インド映画そういうことにあんま抵抗がないんですよね笑
だから悪役が平気で味方になったりとかドラマチックな展開になるわけですからよく出来てるなぁと思います。モスクの爺はかっこよかったすねぇ。