《推定睡眠時間:50分》
ツイッターの自分がおもしろいと思っている人たちが“余命ゼロの少女”の惹句に対して「余命ゼロってもう死んでるじゃんwww」みたいな感じに盛り上がっていたことでも俺の中では話題になった映画ですが、その“余命ゼロ”が劇中どのような文脈で出てくるかと言うと不治の病に冒された少女が半ば自虐的に「わたし1年前に余命1年って言われたんだ。だから今は余命ゼロ」とこういうわけでありました。
ツイッターの自分がおもしろいと思っている人たちの紋切りツイートより全然気が利いてるじゃねぇかお前らいい加減にしろよないやいい加減にしなくてもいいが! 現代日本のプログラムピクチャーたる女子高生映画の作り手たちが台詞や惹句のチョイスにおいてその意味と効果を考えてないわけないだろうっていうところに頭が回らずまんまと術中にハマっている感じがクソだせぇのでせめて君たちは自分のダサさを噛み締めてください…! さもなくば女子高生映画を観ろ。観るんだ。
それで『君は月夜に光り輝く』は監督がキラキラ映画の巨匠・月川翔先生なんですが、俺的には全然ハマらなかった先生の前作『響-HIBIKI-』で唯一これだけは良いなと思ったのが売れない作家の小栗旬と天才女子高生作家の平手友梨奈がお互いを認識することなくすれ違うシーンで、小栗旬は小説家で食ってけないから現場作業員として道路工事をしてる、でその傍らをママチャリ乗った平手友梨奈がサーっと駆けてく。
それだけのシーンなんですが、それだけであることがなんだかとても沁みてしまった。なんつーか人生があったんですよあのシーンには。事後的に構成される出来事の連続としての人生ではなくて、ただ今こうやってなんとなく目の前の風景を眺めている時に感じる情緒的な人生というものが。その儚さが。
キラキラ映画の月川先生にしてこの無常感。先生になにがあったのかと思ったが、しかし『君は月夜に光り輝く』を観て思ったのはどうも月川先生の本分はむしろそっちの方っぽいということで、実はこちらも『響』同様の、というか平手友梨奈がクズ男をぶん殴ったり名言っぽいことを言うような分かりやすい(そしてつまらない)カタルシスがない分だけ『響』より硬質のノンキラキラ路線。
シナリオ的にはいわゆる難病映画と呼ばれる類のシロモノだったが難病映画のレッテルからは遠く離れて、ままならない人生の痛みを淡々と綴るという意味で『orange』に近い文学的な女子高生映画になっていたように思う。
< ストーリー。いつも視線をどこかに漂わせている近寄りがたい系の高校生・岡田くん(北村匠海)は長期入院中のクラスメイト・渡良瀬さん(永野芽郁)にお見舞いの寄せ書きを持っていくよう命ぜられる。 転校生の岡田くんは転校前に入院生活に入った渡良瀬さんと面識がない。聞いた話では渡良瀬さんは発光病を患う薄幸の少女。この発光病というのは致死率超高な難病で、死期が近づくにつれて表皮が燐光を放つようになるらしい。 どんな空気で寄せ書き持ってけばええんじゃいそんな難しい人。なんとなく気まずい感じで病室に入る岡田くんだったが、初対面の渡良瀬さんは存外ネガティブ感がない。むしろ家族に関する過去の傷が今も癒えない岡田くんよりも明るい感じである。 ほんのちょっとだけそんな渡良瀬さんに興味が出てくる岡田くん。渡良瀬さんの方も同様だったようで、かくして岡田くんは渡良瀬さんのお願いを叶えてやることになるのだった。 そのお願いというのは渡良瀬さんがノートに書いた死ぬまでにしたいことを岡田くんが代行するというものなんですが、まぁよくできてますよね、なんか遊園地に行きたいとかショッピングに行きたいとか(※渡良瀬さんは外出を禁止されている)他愛のないことなんですが、その他愛のないことを通して実は塞ぎ込みがちな岡田くんの方が解放されて救われていくという構図。 岡田くんの過去の傷というのは姉の事故死で、それ自殺だったんじゃねぇかっていうことで岡田くん+岡田母は今も苦しんでる。 渡良瀬さんが肉体的に死に憑かれているなら岡田くんは岡田くんで精神的に死に憑かれていて、渡良瀬さんの肉体の死の輝き(文字通りだ)が岡田くんのどよんとした魂を光で包み込んで、そのことで渡良瀬さんの方も決して叶わない自己の救済を象徴的に行うわけです(そのへんの関係性も『響』と通じるところかもしれない) 面白かったのはシーンに執着しないというか、音楽にしても台詞にしても演出にしてもストーリー上の必要最低限しか作り込まれていなくて、俺基準にはなるが普通の女子高生映画だったらそこのシーンはもっと盛り上げたり引っ張って余韻持たせたりするだろみたいなところでもストーリー上の役割を果たしたら平気で切って次のシーンに行ってしまったりする。 この抑制にはちょっと驚く。イーストウッド映画ばりの…と言ったら過言かもしれないが、なんせキラキラの巨匠ですからね監督は。 随所に柔らかいユーモアもあるにはあるが(遊園地のオッサンには笑った)、この前まで『センセイ君主』とか撮ってた人がこんな装飾と抒情を排したリアリズム寄りの人間ドラマを自分で脚本まで書いて撮るとは思わなんだ。しかも女子高生映画の枠組みで。 でもそれがすげぇよかった。友情はなんとなく始まってなんとなく続く。恋愛の成就は達成ではなく過程でしかない。ヒロインの死は淡々と流されていく。その経験で主人公に何か見た目の変化があるわけではない。けれども確実に何かは変わったのだということを少しだけ仄めかす。あぁこれ人生のリアルだなって思いましたよ。 そのリアルと発光病のファンタジーを女子高生映画のリアリティで接ぎ木してるわけですから、よくある難病映画と見えてずいぶんチャレンジングな作品だと思いませんか。いや別に思わなくてもいいんですけど、ともかく俺にはそう見えましたね。 50分も寝ておいてよくそんな分かったような感想が書けたなと自分でも驚きが隠せませんが。 【ママー!これ買ってー!】
全然関係ないじゃないですか! こんなシリアスな映画の感想でそうやってふざけるのやめてくださいよ!
↓原作